大隅(おおすみ)国分寺跡(鹿児島県霧島市国分中央1-23-7)
現在 六層で、もとは七層であったと推定されている。当初のものは四層までで、五層以上は石質が異なる。平安時代後期 康治元年(1142)の在銘。
大隅(おおすみ)国分寺跡 石造層塔 (国史跡、平安時代後期 康治元年 1142年、凝灰岩、高さ 約 500Cm)
三層部屋根、軒は緩く反り、軒下は二重の垂木型、軒先に隅木を刻出する。 | ||
現在、国分こどもセンター南東の広い土地に立っている | 二層部屋根、軒は緩く反り、軒下は二重の垂木型、軒先に隅木を刻出する。 |
石造層塔は、どっしりとして重量感がある。笠は軒の出が少なく、軸部は横幅が広く、全体に安定している。各層軸部の側面は、無地で仏像等は刻まれていない。
初層 屋根
軒は緩く反り、軒下は二重の垂木型、軒先に隅木を刻出する。
三層目軸部、高さに比し、横幅が広く安定感がある。 | ||
二層目軸部、「康治元年(1142)壬戌、十一月六日、甲午」と刻む | 屋根と軸部を別石にして積重ね、屋根・軸部の逓減率は守られている |
基 礎
基礎は、横幅が広く重量感がある。
刻銘:「康治元年(1142)壬戌、十一月六日、甲午」 | 平安時代後期 康治元年(1142)の在銘石塔として貴重 |
在銘石塔では、奈良県明日香村の竜福寺層塔(天平勝宝三年 751年)、群馬県桐生市の山上三重石塔(延暦二十年 801年)に次いで三番目に古い。
基 礎
基礎は、横幅・奥行きが約140Cm、高さは約30Cmで、背が低く横幅が広い古式を示している。
五・六層目、屋根・軸部とも後補。石材が異なる。 | 大隅国分寺 仁王像(室町時代後期、凝灰岩) |
大隅(おおすみ)国分寺 六観音像(室町時代後期 永禄六年 1563年、凝灰岩)
三尊ずつ二段に刻み、六観音とする。六観音は、六道輪廻の思想から起因し、六道に六体の観音を配している。
大隅(おおすみ)国分寺跡 石造層塔 (国史跡、平安時代後期)
大隅国分寺は、奈良時代末期から平安時代初期に造立されたと推定されている。跡地は市街地の為、大規模な調査はされていない。
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*JR日豊本線 「国分駅」下車、東南東方向へ 徒歩 約10分。
(撮影:平成24年1月24日)