田尾原(たおばる)五輪塔

 田尾原(たおばる)五輪塔群(鹿児島県姶良郡湧水町田尾原)

  田尾原にある五輪塔は、いずれも破損がひどく、別石が入っていて一具のもとはいえない。残存する地輪は四十三基にのぼる。

田尾原(たおばる)文和三年銘 五輪塔

  一連の板碑・角塔婆群の向かって左端に安置される。地輪に南北朝時代 中期 文和三年(1354)の銘がある。(A)

田尾原(たおばる)五輪塔(県指定史跡、南北朝時代中期 文和三年 1354年、凝灰岩、高さ 100Cm)

風・空輪を欠失する。火輪は稲葉崎と同様に軒口厚く、ゆったりと反り、水輪は胎蔵界四仏の種子を薬研彫する。地輪に刻銘がある

地輪刻銘:「文和三年(1354)八月廿一日敬白」

田尾原(たおばる)文和三年銘 五輪塔

  上記、文和三年銘五輪塔の手前に立つ。同じ、南北朝時代 中期 文和三年(1354)の銘がある。(B)

田尾原(たおばる)五輪塔(県指定史跡、南北朝時代中期 文和三年 1354年、凝灰岩、高さ 100Cm)

水輪の破損がひどい。文和三年(1354)の銘がある。

田尾原(たおばる)永徳三年銘 五輪塔

  一連の板碑・角塔婆群の向かって右端、手前に安置される。地輪に南北朝時代 後期 永徳三年(1383)の銘がある。(C)

田尾原(たおばる)五輪塔(県指定史跡、南北朝時代後期 永徳三年 1383年、凝灰岩、高さ 114Cm)

地輪の下にあるのが本来の地輪という。風・空輪は別石で、各輪の損傷が甚だしい。水輪の種子は、胎蔵界四仏。

刻銘:永徳三年(1383)、癸亥、三月、光清、敬白」

田尾原(たおばる)二連板碑 残欠

 身部だけが残る二連板碑の残欠で、身部中央を縦に線刻し左右に刻銘を刻む。(8)

田尾原(たおばる)二連板碑 残欠(県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、高さ 95Cm 幅 40Cm)

向かって右側碑 刻銘:「口口口口等、口口口経典、願我於未来、長寿度衆生」

向かって左側碑 刻銘:「如今日世尊、諸釈中之王、道場師子説法無所畏」(法華経分別功徳品に出る偈(げ)

[ 今日の、世尊の諸々の釈の中の王として、道場にて獅子吼(ししく:仏の説法)し、法を説きたまうに畏(おそ)る所なきが如く ]

田尾原(たおばる)角塔婆 残欠

 上記、二連板碑残欠に立てかけてある角塔婆で、頭部四柱山形、下に二段の切込、額部下の身部に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する。(7)

田尾原(たおばる)角塔婆 残欠(県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩)

田尾原(たおばる)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代中期、凝灰岩)

は、二連板碑残欠、は、角塔婆残欠。

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田尾原(たおばる)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代中期、凝灰岩)

A は、文和三年(1354)銘五輪塔。Bも、文和三年(1354)銘五輪塔。Cは、永徳三年(1383)銘五輪塔。

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*JR肥薩線 栗野駅前から、ふるさとバス(轟方面)に乗車、「田尾原公民館前バス停」下車 北方向へ徒歩 約6分。

(撮影:平成24年1月25日)