城願寺(じょうがんじ)五重石塔

 城願寺(じょうがんじ)(神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252)

  五重石塔は土肥一族の墓所に立ち、貴重な鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の紀年銘がある。

城願寺五重石塔(県指定史跡、鎌倉時代後期 嘉元二年 1304年、安山岩、相輪含む高さ 208Cm)

本堂に向って左手奥、土肥氏一族の墓所に六十六基の石塔がある。その正面左手に立つ石塔で、鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の銘がある

城願寺を建立した土肥次郎実平(どいじろうさねざね)は、源頼朝挙兵に一族を率いて参加し、その後も従軍、頼朝の信頼が厚かったという。

初層 屋根

軒口厚く、力強く反る。二層軸部のみ別石で、他は各層屋根の上部に上層の軸部を作り出す。

軒下は、一重の垂木型を刻出する。

初層 軸部

側面は、関東式に輪郭を巻き、内に金剛界四仏の種子を刻む。(正面、アク:不空成就如来)

初層、輪郭を巻き、内に金剛界四仏の種子を刻む。(左面、ウーン:阿閦) 輪郭を巻き、金剛界四仏の種子を刻む。(右面、キリーク:阿弥陀)

初層軸部の向って左面、「ウーン:阿閦(あしゅく)如来」の両側に刻銘がある。

刻銘:「右奉為・・・・・・・・」、「嘉元二年(1304)七月日」

基礎 正面

側面は、関東式に四面とも二区に分かつ。

 城願寺(じょうがんじ)宝篋印塔(神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252)

   宝篋印塔は土肥一族の墓所に立ち、南北朝時代 永和元年(1375)の在銘石塔も混在する。

城願寺 宝篋印塔(県指定史跡) (五重石塔より、向って右に六基目)

塔身は欠失し、他の石塔の基礎部を流用する。関東式に基礎・複弁反花座の側面を二区に分かつ。

城願寺 宝篋印塔(県指定史跡) (五重石塔より、向って左に二基目)

塔身は輪郭を巻き、内に金剛界四仏の種子を刻む。基礎・複弁反花座の側面は、二区に分かつ。笠の段型は、下二段、上四段。

城願寺 宝篋印塔(県指定史跡) (五重石塔の前方、一基目)

塔身は輪郭を巻き、内に金剛界四仏の種子を刻む。ウーン(阿閦如来)面の下方基礎部に刻銘があり、南北朝時代 永和元年(1375)銘と思われる。

基礎・複弁反花座の側面は、二区に分かつ。笠の段型は、下二段・上五段で最上部は二区に分け露盤とする。隅飾りは二弧輪郭付でやや外傾する。

 城願寺(じょうがんじ)五輪塔(神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252)

城願寺 五輪塔(県指定史跡) (正面中央の三基、推定 鎌倉時代後期)

土肥一族の墓所、正面中央に安置されている。各輪は、梵字・刻銘など刻まれておらず、素面。

城願寺(じょうがんじ) 土肥一族の墓所、正面

 箱根宝篋印塔(俗称:多田満仲の墓)                          石仏と石塔-目次!

城願寺(じょうがんじ)(曹洞宗)

城願寺は、土肥次郎実平が菩提寺として建立し、室町時代に中興されたと伝える。

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*JR東海道本線 「湯河原駅」下車 北方向へ徒歩 約8分。この日は雨天で、土肥一族の墓所は薄暗く、撮影のコンデションが悪かった。

(撮影:平成24年11月6日)