円隆寺(えんりゅうじ)多宝塔(舞鶴市引土72)

  江戸時代に藩の保護を受け、この地方最大の寺院として発展した。

円隆寺多宝塔(府指定文化財・江戸時代 宝暦五年 1755年・本瓦葺・高さ 15.3m)


上重部(軒は扇垂木)

下重部(中備えの中央間に蟇股を置く)

奈良時代行基が開基し、平安時代 長徳年中(995〜998年)に比叡山の僧 皇慶上人が再興したと言われている

塔は、高欄のない縁をめぐらし、中央間 格子をはめ込む、脇間連子窓、組物は出組

内部は、中央に心柱が通り四天柱がある。須弥壇に四方仏を安置する


上重の高欄が各辺中央に鳥居を持つ

亀腹は鱗状になっている

相輪は、多宝塔としては長く、層塔風の相輪になっている

上重の扇垂木、高欄の鳥居、亀腹の鱗、どれも珍しい


下重、二軒繁垂木と木鼻

基壇は石造りで四方に石の階段を持つ

この塔は、もとは三重塔であったが江戸時代 享保十七年(1732年)に焼失し、宝暦五年(1755年)良貞上人により再建されたという

円隆寺総門(府指定文化財・江戸時代 1737〜1786年)

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円隆寺本堂(府指定文化財・江戸時代 1737〜1786年)

(平成16年11月27日撮影)