犬飼(いぬかい)五輪塔(大分県豊後大野市犬飼町田原 渡無瀬)
犬飼石仏の境内にある五輪塔で、地輪に大友氏の一族「吉弘 一曇(氏輔)」の名と南北朝時代 永徳二年(1382)の紀年銘がある。
犬飼(いぬかい)五輪塔(南北朝時代後期 永徳二年 1382年、凝灰岩、塔高 135Cm)
風・空輪、一石からなり空輪は宝珠の形 | ||
犬飼石仏(磨崖仏)の境内、崖下に立っている | 火輪、軒口厚く両端で反る |
水 輪
球形で、正面に「仲芳一曇大禅定門神儀」の刻銘がある
基壇の高さ 17Cmで、凝灰岩製、整った形状をしている | 刻銘:「永徳二年(1382)壬戌十月初七日亥尅逝去」 |
地 輪 正 面
地輪は他の輪に比しやや高く、正面中央に「前丹州太守吉弘一雲禅定門霊塔也」、
向かって右に「永徳二年(1382)壬戌十月初七日亥尅、逝去」、左に「春秋三十八歳、肥後州於于、姪隈陣辞世」の刻銘がある。
犬飼(いぬかい)宝篋印塔(大分県豊後大野市犬飼町田原 渡無瀬)
基礎正面に南北朝時代後期 康暦二年(1380)の銘があり、作風から この地方の名工 玄正の作品と考えられている。
犬飼(いぬかい)宝篋印塔 (南北朝時代後期 康暦二年 1380年、凝灰岩)
相輪、九輪の三輪を残し、上部を欠損する。伏鉢・請花の蓮弁は覆輪。 | ||
石塔は、五輪塔の後方に置かれる。残念ながら、塔身を欠失する。 | 笠、段型は下二段、上三段で、隅飾りの部分は欠失する。 |
笠は、段型の上一段目は蓮弁、二段目は二区で内に竪連子、三段目も二区で内に格狭間をつくる。
基礎 正面
基礎は、上端二段、下端は作り出しをつけ複弁の蓮弁をつける。側面は、二重輪郭内に格狭間をつくる。
向かって左側の束に「康暦二年(1380)二月十三日、敬白」、正面の横一列に十三人の法名を刻む
作風から、この地方の名工 玄正の作品と考えられている | 刻銘:「康暦二年(1380)二月十三日、敬白」 |
基礎 側面
側面に、十名の法名を刻む。正面と合わせて計二十三名の法名が刻まれている。
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五輪塔 群
犬飼石仏の境内には、多くの五輪塔がある
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*JR豊肥本線「犬飼駅」下車、南方向へ 約3Km。
(撮影:平成23年3月12日)