観福寺(かんぷくじ)(南河原石塔婆)(埼玉県行田市大字南河原1500-1)
「南河原石塔婆」の名称で国の史跡に指定されている内の一基。地蔵坐像と司命(しみょう)、司録(しろく)らしき像が三尊形式で刻まれている。
観福寺地蔵板碑(国指定史跡、鎌倉時代中期 文永二年 1265年、緑泥片岩、高さ 187Cm 幅 58Cm)
天蓋の下、蓮華座上に坐す地蔵菩薩、その下 左右に司命、司録らしき像を三尊形式で刻み、下方中央に紀年銘、左右に人名を刻む |
観福寺境内にある収容庫内に展示する向かって右側の板碑で、鎌倉時代中期 文永二年(1265)の紀年銘がある。
板碑 頭部
頭部山形、左側を破損する。下に二段の切込、身部は一重の輪郭を巻き、輪郭内上端に地蔵の天蓋を刻む。
天蓋の下、蓮華座に坐す地蔵菩薩 | 蓮華座下、左右に司命・司録らしき像、中央に「文永二年」の紀年銘を刻む |
板碑 下部
中央に「文永二年(1265)、大才、乙丑、二月 日」の紀年銘が入り、その左右に「願阿弥陀仏」などの阿号を持つものや
「藤原・・・」「佐伯・・・」などの人名が、二十数名、刻まれている。
死者の審判者「閻魔王」の本地仏が地蔵であることから、地獄で罪状を読み上げる「司命(しみょう)」、判決を記録
する「司録(しろく)」が脇侍に選ばれている。地獄からの救済者である地蔵菩薩への信仰を表現した板碑と思われる。
観福寺 板碑 二基 (南河原石塔婆)(国指定史跡、鎌倉時代中期)
収容庫内の板碑二基。向かって左側は、文応二年(1261)銘で下方に来迎阿弥陀三尊が刻まれている。
観福寺(かんぷくじ)本堂
河原神社 建長二年銘断碑(鎌倉時代中期 建長二年 1250年、緑泥片岩、高さ 118Cm 幅 約 60Cm) |
板碑は基部に棺を固定する為のホゾが残っており、古墳時代の石棺材を利用した初例という
板碑の上半分は欠損しており、下半分に「建長第二(1250)、庚戌、九月 日」の紀年銘がある。南河原最古の板碑である
河 原 神 社
*JR熊谷駅より犬塚行きバスに乗車 「河原神社バス停」下車、北へ徒歩10分。河原神社へは、河原バス停下車すぐ。バス停で時間があまり神社に入ったら、幸運にも板碑があった。
(撮影:平成20年3月24日)