阿弥陀堂(あみだどう)墓地 胎蔵界大日種子板碑

 阿弥陀堂の板碑(板石塔婆)(埼玉県東松山市岩殿)

  高さ2.6mの大板碑で、保存も良く大変美しい。南北朝時代中期 応安元年(1368)の在銘で、青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑と同形式。

阿弥陀堂墓地 胎蔵界大日種子板碑(市指定文化財、南北朝時代中期 応安元年 1368年、緑泥片岩、高さ 260Cm 下幅 58Cm)

頭部山形、身部は上方に胎蔵界大日如来(五点具足)の種子、下方は般若心経秘鍵に出る偈、その下に願文、交名、紀年銘等を刻む

阿弥陀堂墓地の斜面中腹、広々とした空間に立っている板碑は、保存も良く感動的に美しい。板碑の美しさでは、十指に入ると思う。

板碑 頂部

頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出する。身部は、輪郭線を巻かない。

胎蔵界大日如来五点具足)の種子「アーンク」 身部下方、般若心経秘鍵に出る偈、願文、交名、紀年銘等

身部、、般若心経秘鍵に出る偈(げ)

偈(げ):「真言不思議(しんごんふしぎ)、観誦無明除(かんじゅむみょうじょ)、一字含千里(いちじがんせんり)、即身証法如(そくしんしょうほうにょ)

[ 真言は不思議なり、観誦すれば無明を除き、一字に千里を含み、この身ながらに真理を証す ]

中央に「干時 応安元年(1368)戊申、八月二日、庵主朗明 明超上人」、両脇 五列十段 五十名と一人の交名、左端に願文を刻む

身部下方の刻銘

中央に「干時 応安元年(1368)戊申、八月二日、庵主朗明 明超上人、敬白

向かって左端に「夫秘密教王之元本者真如言説之体性普周法界之化用也」

現地説明板では、 応永元年(1368年、南北朝時代)に庵主朗明 明超上人が同門の僧呂と真言密教の功徳をあらわしたものと解説している。

中央の刻銘:「應安元年(1368)戊申、八月二日」  →  中央の刻銘:庵主朗明 明超上人、敬白

中央の刻銘:「干時 応安元年(1368)戊申、八月二日、庵主朗明 明超上人、敬白

刻銘:夫秘密教王之元本 者真如言説之体性     普周法界之化用也

身部下方、左端の刻銘

左端の刻銘:「夫秘密教王之元本者真如言説之体性普周法界之化用也」(名著出版、埼玉県板石塔婆報告書 Ⅲ 資料編 2 より)

 紀年銘 両脇の交名(五十一名)

  紀年銘の両脇に五列十段 五十名と一名の交名が刻まれている。

通賢 通幸 干時 良弁 良圓 智然
春海 良祐 應安 宗英 祐勢 妙範
隆賢 智性 元年 宗珎 明春 奥覚
-
道専 契西 戊申 春勝 通圓 中倫
浄通 妙性 八月 圓秀 朗賢 周契
妙心 鏡学 二日 有賢 良誉 良秀
-
道性 定充 庵主 慶尊 通海 了賢
道圓 了心 朗明 祐弁 善超 宗賢
良祐 乗圓 明超 幸賢 祐尊 朗尊
- -
教圓 空智 上人 智全 幸心 通賢
敬白 了寛

 阿弥陀堂墓地 阿弥陀一尊種子板碑

阿弥陀堂墓地 阿弥陀一尊種子板碑(南北朝時代中期 貞治二年 1363年、緑泥片岩、高さ 66Cm 下幅 27Cm)

大日(胎)一尊種子板碑の傍に立っている小型の板碑。頭部山形、下に二段の切込があり身部に一重の輪郭線を巻く。

身部上方に、阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上に薬研彫し、下方に紀年銘と両脇に各二行光明真言を梵字で刻む。

刻銘:「貞治二年(1363)癸卯、正月八日」

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」、「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

 正法寺(しょうぼうじ)六角塔婆 (六面石幢)                     石仏と石塔-目次!

阿弥陀堂墓地 胎蔵界大日種子板碑(市指定文化財、南北朝時代中期 応安元年 1368年)

東松山市内の青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑(応安二年 1369年銘)と同じ胎蔵界大日(五点具足)一尊板碑で、

同じく般若心経秘鍵に出る偈(げ)「真言不思議」の偈を刻んでいる。但し、この板碑の方が一年早く造られている。・・・・・・

 板碑(いたび)

*東武東上線 高坂駅前から 川越観光バス 鳩山ニュータウン行きに乗車、「物見山登山口バス停」下車、西北方向へ徒歩 約10分。板碑は「岩殿老人憩の家」の裏側(北側)、阿弥陀堂墓地の中腹に立っている。

(撮影:平成24年4月19日)