喜多院(きたいん)延文三年銘 阿弥陀種子板碑

 喜多院(きたいん)(無量寿寺)(埼玉県川越市小仙波町1-20-1)

   板碑は僧・法師が導師となり、在俗の人々が結衆して造立したもので、南北朝時代中期 延文三年(1358)の紀年銘がある。

喜多院 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、南北朝時代中期 延文三年 1358年、緑泥片岩、高さ 276Cm 下幅 69Cm)

歴代住職墓所内、向って左側に立つ。身部は、上方に阿弥陀如来の種子、その下に合計 六十名の沙弥や尼、その他の法名が刻まれている。

六十名の内訳は、僧 一人、法師 二名、沙弥 三十二名、尼 二十一名、聖霊 四名。聖霊は、喜捨を募って後 故人になった人と考えられている。

板碑 頭部

頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出する。身部は、一重線の輪郭線を巻く。

蓮華座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」が薬研彫される。 身部下方、紀年銘と六十名の法名を刻む。

板碑 下部

中央に「干時延文三秊(1358)、戊戌、十月八日、一結衆、敬白」と刻み左右に交名を刻む。

川越市内 最大の板碑で、南北朝時代中期 延文三年(1358)の在銘 中央の刻銘:「干時 延文三秊(1358)、戊戌

板碑 背面

正面前方に見える建物は、慈眼堂(重要文化財、江戸時代)。

喜多院(きたいん)歴代住職墓所内に立つ二基の板碑

歴代住職墓は、慈眼堂(重要文化財、江戸時代)の裏側にある。向って右は、暦応五年(1342)銘 阿弥陀種子板碑。

 勝福寺墓地(しょうふくじぼち)阿弥陀三尊種子板碑                石仏と石塔-目次!

喜多院(きたいん)多宝塔 (県指定文化財、江戸時代 寛永16年 1639年、本瓦葺 )

喜多院は、淳和天皇の勅により平安時代 天長七年(830)慈覚大師円仁により創建された。

 板碑(いたび)

*J東武東上線・JR川越線 「川越駅」 下車、北方向へ徒歩 約20分。または、J東武東上線「川越市駅」 下車、東北方向へ徒歩 約18分。または、西武新宿線「本川越駅」下車、東方向へ徒歩 約15分。歴代墓所内は立ち入り禁止の為、望遠レンズ使用。

(撮影:平成24年11月8日、平成17年8月15日)