江南々校(こうなんなんこう)曼荼羅板碑

 江南文化財センター(埼玉県熊谷市千代329)

  阿弥陀如来の種子「キリーク」の下に珍しい金剛界曼荼羅の理趣会(りしゅえ)を刻んだ板碑で、鎌倉時代中期 弘安九年(1286)の造立。

江南々校曼荼羅板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期 弘安九年 1286年、緑泥片岩、高さ 160Cm 下幅 43Cm)

江南文化財センターのロビーに展示、上半を欠く。身部は、蓮華座上の阿弥陀種子、金剛界曼荼羅の理趣会、下方に銘文を刻む

もと樋春の民家で橋材に使われ、江南南小学校で保管されていた。

板碑 種子部

蓮華座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」の一部が残る。身部は二重線の輪郭を巻く

金剛界曼荼羅の理趣会と銘文 銘文、中央に弘安九年(1286)の紀年銘がある

銘文は、中央に「弘安九秊(1286)丙戌夏月日」、左右に「右志者為比丘尼唯阿」、「弥陀佛現当二世成就」と刻む。

在俗出家して唯阿弥陀仏と号した女性が、自身の生存中に、当世の安穏と来世の成仏を願って、弘安九年(1286)に造立した。

四院会
(しいんえ)
一院会
(いちいんえ)
理趣会
(りしゅえ)
供養会
(くようえ)
成身会
(じょうじんえ)
降三世会
(ごうざんぜえ)
微細会
(みさいえ)
三昧耶会
(さまやえ)
降三世
三昧耶会

金剛界曼荼羅略図

方向は、上方が西で向かって右が北。理趣会は、西北に位置する。

金剛界曼荼羅を表したものは、奈良県高取町の香高山(こうこうさん)石造両部曼荼羅があり、

金剛界曼荼羅成身会を表したものは京都府向日市の来迎寺(らいごうじ)両部曼荼羅板碑がある。

金剛界曼荼羅 理趣会(りしゅえ) 曼荼羅部

金剛女の女性尊 - - 愛(あい)金剛菩薩
「ス」
- - 金剛女の女性尊
-- - - -- -- - -
触(そく)金剛菩薩
「カー」
- - 金剛薩埵
「ウーン」
- 慢(まん)金剛菩薩
「ギャ」
- - - - - - -
金剛女の女性尊 - - 欲(よく)金剛菩薩
「マ」
- - 金剛女の女性尊

金剛界曼荼羅 理趣会(りしゅえ) 略図

中尊の金剛薩埵(こんごうさった)は通常「オン」で表すが、「ウーン」で表し、慢(まん)金剛菩薩は「キャ」で表すが「ギャ」の梵字で表されている。

金剛界曼荼羅の各会では、中尊が大日如来だが、理趣会のみが金剛薩埵(こんごうさった)であり、四方の尊が欲・触・愛・慢金剛菩薩で、かたわらに金剛女の女性尊

配する。この会(え)は、依る所の経典が「理趣経」で、男女の愛欲を肯定しながら昇華(しょうか)することにより、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を求めることにある。.・・

熊谷市江南地区は、板碑発祥の地で、日本最古から第三位迄の板碑がある。板碑造立は、武蔵武士の関与が強く想定されている

 福田観音 建長三年銘 阿弥陀三尊種子板碑                     石仏と石塔-目次!

江南文化財センターのロビーに展示されている板碑三基

向かって左が、寛喜二年(1230年)銘の阿弥陀三尊図像板碑、右が日本最古の阿弥陀三尊図像板碑(嘉禄三年 1227年)

 板碑(いたび)

*江南文化財センターへは、JR熊谷駅前から国際十王バス小川町駅・県立循環器呼吸器病センター行き乗車、「大沼公園バス停」下車、北方向へ 約600m。開館:平日の午前9時~午後5時。

(撮影:平成23年11月2日)