興禅寺(こうぜんじ)(埼玉県入間郡越生町西和田849)
三基並んで立つ中央の板碑で、「建武改元」の銘がある。年号を「建武」に改め、南北朝時代の初年 建武元年(1334)に入る。
興禅寺金剛界大日板碑(中央)(市指定文化財、南北朝時代初期 建武元年 1334年、緑泥片岩、高さ 156Cm 下幅 43Cm)
頭部山形、下に二段の切込、身部は金剛界大日の種子「バン」を月輪内に薬研彫し、下に蓮華三昧経に出る偈(げ)、願文、紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二段の切込、額部は突出する。身部の輪郭はない。
身部、金剛界大日の種子「バン」を蓮華座上月輪内に薬研彫する | 身部下方、上方に蓮華三昧経に出る偈、下方中央に紀年銘 |
種子「バン」の下、蓮華座と偈(げ)の一部が剥落している。
刻銘全文:「帰命本覚心法身、常住妙法心蓮臺、本来具足三身徳、三十七尊住心城」、
「口来為沙弥口口良口口七口口生口、致逆修作善口間口応身三摩耶口口」
「瑜伽唯識妙印重口早口法性口日願、口口月照生死之暗・・・・」、「建武改元(1334)甲戌、七月十五日」
蓮華三昧経に出る偈(げ)
偈(げ):「帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんほうしん)、常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんしんとく)、三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)」
[ 本覚心の法身(如来)に帰命したてまつる。常に妙法の心蓮台に住し、本よりこのかた(法身、報身、応身の)三身徳をそなえ、三十七尊の心城に住す]
(心蓮台:自性心の清浄なるを心蓮とする心蓮の台。 三十七尊:金剛界曼荼羅の主要な尊体)
板碑、下部の刻銘 | 下方に「建武改元」と彫り、建武に改元、南北朝時代に入った |
刻銘:「口来為沙弥口口良口口七口口生口、致逆修作善口間口応身三摩耶口口」
「瑜伽唯識妙印重口早口法性口日願、口口月照生死之暗・・・・」、「建武改元(1334)甲戌、七月十五日」
尚、「板碑概論」(服部清道 著、角川書店)では、刻銘を下記の様に読み、真言宗の板碑と紹介した上で、
、「其の願文の密教の理をつくせること、蓋(けだ)し板碑中の白眉であろう。」と書かれている。・・・・・・・・
刻銘:「右奉為沙弥理円既雖迎七迫之星霜、未致逆修作善、然間彰応身三摩耶躰貌開瑜伽唯識妙印
、重乞早遊法性之虚月、顕本覚之月、照生死之暗、併覚妄想之夢矣」、「建武改元(1334)甲戌、七月十五日」
板碑、背面
中央の建武元年(1334)銘 大日(金)種子板碑は二分断され、金具で補強されている。
興禅寺(こうぜんじ)阿弥陀種子板碑(1) 石仏と石塔-目次!
興禅寺 本堂 (真言宗 智山派)
板碑は本堂に向って左手に、三基並んで立っている。
*JR八高線・東武越生線 「越生(おごせ)駅」下車、北方向へ約1.5Km。
(撮影:平成24年11月9日)