万福寺(まんぷくじ)(埼玉県坂戸市北浅羽193)
武蔵七党のひとつ、浅羽氏の祖 浅羽行成(行業)の実在を証明する板碑で、末孫の比丘慧見(けいけん)が徳治二年(1307)に造立した。
万福寺胎蔵界大日種子板碑(県指定文化財、鎌倉時代後期 徳治二年 1307年、緑泥片岩、高さ 218Cm 下幅 85Cm) |
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板碑は幅広で厚く、重量感がある。身部上方に五点具足の胎蔵界大日種子「アーンク」、その両脇から下方に願文、紀年銘等を刻む |
板碑 頂部
頭部山形、下に二段の切込、額部は薄く突出し、身部は輪郭線を巻かない。
板碑上半部、身部上方に「アーンク」を薬研彫する。 | 身部下方、行書体で五行に渡る銘文を刻む |
身部下方の銘文
左右に「右為曩祖浅羽小大夫有道行長成、朝臣其子孫等就彼故墳」、「奉造立也伏願菩提樹茂、近蔭後毘本覚月朗遠照幽冥也」、
中央に「徳治二季(1307)、丁未、結制日、七代末孫比丘、慧見幹縁造立」と刻む。
武蔵七党のひとつ、浅羽氏の祖 浅羽行成(行業)とその子孫等の追善の為、七代の孫にあたる比丘慧見(けいけん)が、鎌倉時代後期の徳治二年(1307)
結成日(四月十六日)にこの板碑を造立した。(結制日:陰暦四月十六日から七月十五日までの三月間、僧が一カ所にこもって修行に入る日で四月十六日)
胎蔵界大日如来の種子「アーンク」(五点具足)
種子は、大きく深く薬研彫され雄大感がある。
武蔵武士の追善塔らしい堂々とした趣がある | 板碑 側・背面 |
板碑収容庫の横に置かれている板碑
かなり大きな板碑で、身部上方に阿弥陀の種子「キリーク」が刻まれ、下方の銘文は磨滅している。
万福寺 板碑収容庫
施錠され、角パイプの柵内に金網が張られている。
中浅羽墓地(なかあさばぼち)阿弥陀種子板碑 石仏と石塔-目次!
万福寺(まんぷくじ)本堂 (真言宗智山派)
*東武東上線 北坂戸駅前から川越観光バス 入西団地行きに乗車、「今西バス停」下車、西方向へ徒歩 約11分。
(撮影:平成24年4月20日)