蓮華寺(れんげじ)宝篋印塔(滋賀県米原市番場511)
蓮華寺は聖徳太子が創建し、法隆寺と称した。弘安七年(1284)、当地の地頭 土肥元頼が一向上人を招いて中興し開山の祖とした。宝篋印塔は、土肥元頼の墓と伝える。
蓮華寺(れんげじ)宝篋印塔 (鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 186Cm)
塔身正面、表面が荒れ梵字が刻まれていたかは不明 | ||
本堂の向かって右側に立つ宝篋印塔で、土肥元頼の墓と伝える | 塔身右面、表面が荒れ梵字が刻まれていたかは不明 |
笠
笠の段型は、下が薄く二段で、上六段、隅飾は大きく三弧輪郭付で内は無地、やや外傾する
相輪は、下から伏鉢、請花、九輪で、九輪は七輪を残し、上部と請花・宝珠を決失する。全体に飾りが少なく、シンプルで重量感がある。 |
基 礎
基礎上端は二段、側面は四面とも輪郭を巻き内に格狭間をつくる。
一向上人五輪塔(室町時代)
弘安七年(1284)、当地の地頭 土肥元頼が一向上人を招いて中興し開山の祖とした
蓮華寺(れんげじ)北條仲時 以下四百三十余名 墓所
北條仲時 以下四百三十余名 墓所
鎌倉時代最末期 元弘三年(1333)5月9日、京都を追われた六波羅探題北條仲時は、ここ蓮華寺の門前で自刃した。
時の蓮華寺住職 三代同阿は、自刃した430余名を手厚く葬り、姓名・年齢・法名を書きとめ「陸波羅(ろくはら)南北過去帳」(重文)として残した。
蓮華寺 (浄土宗 本山)
蓮華寺は中山道番場(ばんば)宿にある寺院で、番場は長谷川伸の小説「瞼の母」、番場の忠太郎で知られる。
北陸道・中山道 分岐点道標
北陸道・中山道 分岐点道標 (市指定文化財、江戸時代後期 弘化三年 1846年、花崗岩、総高 145Cm)
米原駅から蓮華寺に至る道路の脇に建っている。東面に「弘化三丙午年(1846)再建之」、
南面に「右中山道、はん八、さめかゐ」、西面に「左北陸道、なかはま、きのもと」の刻銘がある。
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*JR東海道本線 「米原停」下車 東方向へ徒歩 約42分。又は、米原駅前から湖国バス 養鱒場行きに乗車、「番場バス停」下車 徒歩5分、「蓮華寺下バス停」(止まらない便あり)下車、徒歩 約3分。
(撮影:平成23年10月11日)