浅間神社(東京都八王子市松木54-14)
宝篋印塔は、鎌倉公方 足利持氏の家臣で当地の領主であった 松木七郎の墓と伝える。南北朝時代後期 永和二年(1376)の在銘塔。
伝 松木七郎墓 宝篋印塔(市指定文化財、南北朝時代後期 永和二年 1376年、安山岩、高さ 154Cm)
塔身、輪郭を巻き内に胎蔵界四仏の種子を刻む(正面、ア:宝幢如来) | ||
宝篋印塔は、浅間神社本殿の東側、一段低くなった場所に立っている。 | 塔身、輪郭を巻き内に胎蔵界四仏の種子を刻む(東面、アー:開敷華王) |
笠
笠の段型は下二段、上五段で最上部は側面二区の露盤とし、隅飾は二弧輪郭付で内は無地、やや外傾する。
塔身、輪郭を巻き内に胎蔵界四仏の種子を刻む(背面、アン:無量寿) | ||
塔身、輪郭を巻き内に胎蔵界四仏の種子を刻む(西面、アク:天鼓雷音) | 宝篋印塔は、この地の地名となる松木七郎師澄の墓と伝える。 |
基礎 西面
基礎上端は二段の段型、側面は四面とも関東形式の二区で、西面 他に刻銘がある。
基礎西面、向って右区内の刻銘
刻銘:「永和 丙辰、二年(1376)六月」
基礎西面の向って右区内に永和二年(1376)六月の紀年銘が刻まれている。その他、刻銘はあるが摩耗が激しく不明。
相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、上方の請花が縦に長く特長がある。尚、九輪の輪間は、薄い線刻で表現している。 |
松木七郎師澄は、鎌倉公方 北条持氏の家臣で松木村を開拓し、当地の領主になったという。足利持氏(1398~1439)は、室町時代前期の人物で松木七郎が持氏
の家臣とすると、宝篋印塔の紀年銘(永和二年:1376年)が若く年代が合わない。八王子市の説明によれば、石塔に刻まれた銘文は、「成然禅尼という女性が、亡
くなった夫の供養のために建てられた」と書かれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・//・・・・・//・・・・・・・・・・・・・・・
台 座
上端は複弁反花、側面は四面とも二区の関東形式。
浅間神社
宝篋印塔は、鳥居の前を左側の下っていくと、一段低い場所に立っている。
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*京王相模原線 「京王堀之内駅」下車、西方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成24年11月7日)