安楽寿院(近衛天皇陵)(京都市伏見区竹田内畑町)

 多宝塔は御陵として用いられている唯一の珍しい建物。安楽寿院は新義真言宗智山派の寺院

安楽寿院(近衛天皇陵)多宝塔(指定なし、桃山時代 慶長十一年 1606年再建、本瓦葺、高さ 約16m)



上重は、四手先組物、軒は扇垂木

下重の屋根には鬼瓦がのる

多宝塔は、鳥羽天皇の皇后で近衛天皇の母である美福門院 藤原徳子により建立され、近衛天皇の遺骨が納められた。

現在の多宝塔は、慶長十一年(1606)に豊臣秀頼により再建された

塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし中央間桟唐戸、脇間連子窓、組物は出組。中備えは三間とも間斗束


宝鎖(ほうさ)を留める金具は宝珠の形をしている

下重の軒反りが美しい(二軒繁垂木)

御陵の為、近寄れない。そのため傷みもなく非常に保存が良く美しい。重文級の多宝塔

多宝塔の内部は、近衛天皇が祀られており、本尊は阿弥陀如来という

安楽寿院は、鳥羽伏見の戦のとき、官軍の大本営であった

安楽寿院は鳥羽上皇城南離宮の東殿を、保延三年(1137年)覚行(がくぎょう)法親王を導師として改めたことに始まる

多宝塔の鬼瓦。塔は、全体に仕事が丁寧で細かな造作にも品がある

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鳥羽天皇陵

平安時代後期の保延五年(1139)、鳥羽上皇は自らの墓をここに定め、三重塔を建て、落慶法要が行われた

*近鉄電車・京都地下鉄「竹田駅」下車、徒歩 南へ約10分

(平成16年10月31日・平成19年3月11日 撮影)