長谷寺(はせでら)五重塔(桜井市初瀬731-1)

  この地は、こもりくの初瀬(はつせ)と呼ばれた。真言宗豊山派の総本山、西国三十三観音霊場第八番札所

長谷寺(はせでら)五重塔(昭和29年 1954年建立、桧皮葺、高さ 31.39m)

長谷寺の創建は、686年(朱鳥元年)道明上人が天武天皇のために塔を建て銅板法華説法図を納めたのに始まると伝えられている。これを本長谷寺とよぶ

その後、733年(天平五年)徳道が観音像を造立し、747年に観音堂を建立したといい、これが現在の後長谷寺である


五層部、四・五層は中備えはない

二・三層部の組物は三手先組物、中備えは中央間のみ間斗束

塔は擬宝珠高欄を付けた基壇の上に建つ。組物は三手先、軒は二軒繁垂木をもちいる。戦後いちばんはやくできた本格的五重塔という

登 廊 (重要文化財)(百八間、三九九段、回廊形式の登廊)

御詠歌:  いくたびも参る心ははつせでら
                                     山もちかひも深き谷川      (花山天皇御詠)


初層の組物、軒廻り

五重塔、初層

 塔は基壇上に建ち、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ間斗束をおき脇間はない。水煙のすかし模様が美しい

弘法大師御影堂の前から五重塔を撮る(手前は本長谷寺)


登廊(のぼりどう)の両側に牡丹の花が植えてあり見事な花を咲かせる

仁王門(重要文化財・明治18年 1885年再建)

桃山時代の天正十六年(1588)、専誉僧正が入山してより、関係寺院三千ヶ寺を有する真言宗豊山派の総本山として信仰を集める

慶長年間に豊臣秀頼により再建されたたが明治9年3月焼失し、現在は礎石のみを残す

本堂(国宝・1650年再建)内部。楠で造られた我国最大の十一面観音立像(重要文化財・10m余)を本尊として祀る

 奈良の塔 法起寺三重塔                             日本の塔-目次

長谷寺(はせでら)本堂(国宝・江戸時代 慶安三年 1650年建立)

入母屋造の正堂と礼堂からなる双堂(ならびどう)形式で、前面に懸造りの舞台が付く大建造物。平成16年12月、国宝に指定された。

(平成17年11月19日撮影)