久米寺(くめでら)多宝塔(橿原市久米町502)

  聖徳太子の皇弟である来目王子の創建という説と、久米仙人が創建したという説がある。真言宗御室派の別格本山

久米寺(くめでら)多宝塔(重要文化財、江戸時代初期、とち葺、高さ 14.5m)


上重部

下重部、中備えの蟇股

養老2年(718)インド摩伽佗国の王善無畏三蔵という人が来朝、約2年間のあいだに高さ10.909m四方の塔を建立し、3粒の仏舎利並びに大日経を塔内に納めた

塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えの中央間に蟇股を置き、脇間蓑束。組物は出組


風鐸(ふうたく)

木鼻(きばな)

 多宝塔は、慶安年中(1648〜1652)に焼失し、その後、嘉永初期に仁和寺の旧塔を移築した

  上重の組物は四手先組物で軒は二軒繁垂木


下重中備えの蟇股
二軒繁垂木が美しい 擬宝珠高欄を付した縁側

多宝塔に隣接して、一辺10.7mにも及ぶ巨大な礎石群がある。

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西国薬師第七番の札が掛かった本堂
久米寺本堂 境内の目立たない所にあった石塔

(平成16年10月23日撮影・最上部の写真を除く)