備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)五重塔(岡山県総社市上林1046)
国分寺は(こくぶんじ)は、奈良時代 天平13年(741)に聖武天皇が仏教を国家の宗教と位置づけ、国ごとに建立を義務付けた官寺で、各七重の大塔があった。
近年の発掘調査では、六十ヶ所を超える寺蹟が判明している。
五重塔は、吉備路の田園風景によく馴染んでいる
五層部分 |
|
四層部分 |
備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)五重塔(重要文化財、江戸時代、本瓦葺、高さ 34m)
五重塔は、江戸時代後期の文政四年(1821)から弘化年中まで、二十数年かけて建立された。三層までは総欅(けやき)造りで、四・五層は松材が主体となっている
擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えの蟇股は十二支の彫刻がはめこまれている
三手先組物と二軒平行繁垂木 |
|
組物は三手先組物 |
内陣には、仏壇を設けて金剛界の五智如来像(大日、阿弥陀、宝生、阿シュク、不空成就)を安置する
初層、尾垂木の上に龍の彫刻が施されている
屋根の鬼瓦 | 二軒繁垂木、尾垂木、軒支輪(写真左から) |
国分寺の中で五重塔を残すのは、ここ備中のみである
(平成16年8月14日撮影)