立江寺(たつえじ)多宝塔(徳島県小松島市立江町若松13)

  聖武天皇の勅願により行基が開基。四国八十八ヶ所第十九番札所として知られる高野山真言宗の寺院

立江寺多宝塔(指定なし、大正7年 1918年、上重 銅瓦葺、下重 本瓦葺、一辺 5.59m)


上重、四手先組物、軒は扇垂木、高欄に逆蓮柱がつく

下重、組物は出組、軒は二軒繁垂木

立江寺は、聖武天皇の勅願により行基が開山したと伝えられ、行基が一寸八分(約5Cm)の延命地蔵菩薩像を刻み本尊とした

多宝塔は、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備え及び支輪の位置は彫刻を飾る


上重は銅瓦葺の屋根

下重、組物は出組で手挟みは彫刻を施す

弘仁六年(815)、弘法大師が訪れた時、六尺(約1.8m)の地蔵菩薩を刻み、本尊の一寸八分の像を胎内に収めた

塔の内部は、四天柱があり須弥壇上に多宝塔を置き、なかに五智如来を安置する


上重、尾垂木上、竜頭の彫刻

下重、支輪の位置には、天女の彫刻が施されている

多宝塔は立江寺の先住で、高野山の管長も努められた庄野琳真師が大正七年(1918)に創建した

立江寺本堂

本堂の格天井には東京芸大の教授であった西村公朝氏の指導により、芸大卒の画家達が描いた花鳥が美しい

立江寺仁王門

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多宝塔、下重四隅の風鐸

下重、支輪と中備えの位置には彫刻が施されている

創建当時の堂塔は、現在の西側約500mの清水奥谷山麓(現在の奥の院)にあったが、蜂須賀候により現在の地で再興された

* JR牟岐線、立江寺下車 徒歩約5分。立江寺は、、邪悪な心を持つ人は通れない阿波の関所という伝説がある。今日も、お遍路さんで賑わう。この日は、高速舞子発 午前7時発の高速バスに乗り徳島駅到着。JR徳島より牟岐線を利用して午前 8時45分に立江寺に着いた。高速バスの運転手がバスをとばしたおかげで、予定より早く着いた。

(平成18年10月14日撮影)