神奈川県の塔
三渓園(さんけいえん)(旧 燈明寺・とうみょうじ)(神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1)
横浜の実業家の元邸宅。ここに京都・鎌倉等から重文棟10棟を含む、17棟の古建築を移築し「三渓園」として公開した。
旧 燈明寺三重塔(重要文化財、室町時代 康正三年 1457年、本瓦葺、高さ 23.9m)
三層部(脇間連子窓、中備えは中央のみ間斗束) |
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二層部(脇間間斗束、中備えは三間とも間斗束) |
燈明寺は京都府相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院。現在は廃寺となっている
寺伝によると聖武天皇の勅願により天平7年に開創されたといわれている
塔は高欄のない縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間板張り、中備えは三間とも間斗束
三層とも三手先組物、二軒繁垂木 |
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三手先組物と間斗束 |
三渓園は、横浜の実業家 原 三渓(本名:富太郎)の元邸宅。昭和28年(1953年)、原家から(財)三渓園保勝会の手に移された
三渓園中央丘上に建つ三重塔は園のシンボルでもある関東最古の塔
本瓦葺の瓦は、東明寺の銘が入っている |
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旧 燈明寺本堂(重要文化財・室町時代初期) |
内部は四天柱、来迎壁があり須弥壇を設ける
三重塔は大正3年(1914年)、本堂は昭和62年(1987年)に三渓園に移築された
旧 東慶寺仏殿(重要文化財・江戸時代初期 寛永11年 1634年・明治40年移築)
東慶寺は北条時宗の妻、覚山尼(かくざんに)が創建した寺院で駆込み寺、縁切り寺として有名だった
旧 天瑞寺覆堂、扉の彫刻(天女) |
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鶴翔閣(かくしょうかく・市文・原三渓の自邸・明治30年代) |
旧 天瑞寺(てんずいじ)寿塔覆堂(じゅとうおおいどう)(重要文化財・桃山時代・京都大徳寺内 天瑞寺)(写真左・右上)
寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のこと。豊臣秀吉が母の病気平癒を喜び天正20年(1592年)にこの寿塔を建てた
(平成17年2月12日撮影)