金剛峯寺大塔(伊都郡高野町高野山132)
大塔は高野山のシンボル。昭和12年の再建になる高さ 約50m
金剛峯寺大塔(指定なし、昭和12年 1937年建立、本瓦葺、高さ48.5m)
上重、組物は四手先、軒は地垂木が円の二軒繁垂木 |
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下重、柱は角柱、組物は出組 |
高野山金剛峯寺は真言宗の大本山。弘仁七年(816)空海が高野山を入定の地として勅許され山上伽藍の造営を始めた
塔は基壇上に立ち縁はない。中央間三間は板唐戸、脇間連子窓、組物は出組、中備えは双斗
上重、四手先組物、軒は二軒繁垂木 |
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下重、風鐸と軒 |
創建伽藍は正暦五年(994)の雷火により御影堂を残して焼失した。復興は11世紀前半を通じて行われた。大塔の再建は遅れ、康和五年(1103)に供養されているが
久安五年(1149)雷火により焼失した。復興は早く、金堂が翌年、大塔が久寿三年(1156)に再建された。再建大塔は永正十八年(1521)まで存続した
塔の内部は胎蔵界大日如来と金剛界四仏が安置され、周囲の十六本の柱には堂本印象画伯の描く十六大菩薩を配し立体曼荼羅を顕す
下重、中備えの双斗 |
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下重、組物は出組 |
外壁の塗装は平成八年十月に完成した。現在はこの朱色が鮮やかで朱色に染まるようだ
金堂の前で経をあげる若い僧達
金 堂 (昭和9年の再建)
壁画は木村武山画伯の筆、両部曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」
(平成17年11月5日撮影)
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