光明寺(こうみょうじ)宝篋印塔

 光明寺(こうみょうじ)(広島県尾道市東土堂町2-8)

   光明寺は、慈覚大師円仁の草創で天台宗として開かれた。足利尊氏の西下の際、従軍僧 道宗が本堂を再建、以後浄土宗に改宗する。宝篋印塔は道宗の開山塔と呼ばれる。

光明寺(こうみょうじ)宝篋印塔(市指定文化財、南北朝時代~室町時代初期、花崗岩、高さ 202Cm)

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀)
宝篋印塔は本堂の東横、植込みの中に立っている 塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿閦如来)

段型は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付でやや外傾し、内は無地。

塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就) 塔身、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生)

基  礎

上端は二段の段型、側面は四面とも輪郭を巻き内に格狭間をつくる。

相輪は下から 伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪間の溝は浅く、塔身の四方仏も力強さに欠け、浄土寺塔よりも時代は下がる。

基壇と台座

基壇は切石の一段、台座は蓮弁を彫らず曲線にした繰形座。

隅飾りは輪郭内が丁寧に彫り込まれ、外線のカーブも美しい。 宝篋印塔は、浄土宗に改宗した道宗上人の開山塔と呼ばれる。

光明寺 本堂

本尊は阿弥陀如来で、境内墓地には第十二代横綱 陣幕久五郎夫婦の墓がある。

 光明坊(こうみょうぼう)十三重石塔                           石仏と石塔-目次!

光明寺(こうみょうじ)(浄土宗 西山禅林寺派)

宝篋印塔紀年順  宝生寺(ほうしょうじ)宝篋印塔(南北朝後期~室町前期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR山陽本線「尾道駅」下車、北東方向に徒歩 約9分。

(撮影:平成24年9月23日)