宝生寺(ほうしょうじ)(大分県豊後大野市清川町宇田枝1369)
寺伝によれば宝生寺(ほうしょうじ)は、平安時代後期 久安年中(1145~1151)に源為朝により建立されたという。
宝生寺(ほうしょうじ)宝篋印塔(市指定文化財、南北朝時代後期~室町時代前期、凝灰岩)
塔身(正面)、後補と思われる。輪郭が線刻されている。 | ||
宝生寺の門前、左側に安置されている | 塔身(左面)、後補と思われる。輪郭が線刻されている。 |
笠
笠の段型は、下二段、上四段、やや外傾する隅飾は、二弧で内線を彫り、茨(カスプ)の所で蕨(わらび)文様を刻む。
笠上部の段型は、一段目が蓮華文様、四段目が二区竪連子となっている。
相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花で、宝珠を欠失する。基礎正面、向かって左側の束に薄く刻銘が見えるが不明。 |
基 礎
上端は二段、下端は作り出しをつけ複弁の蓮弁を刻む。側面は四面とも二重輪郭を巻き内に格狭間をつくる。
基礎下端の蓮弁や笠の隅飾り、笠 上一段目の文様に「玄正」の手法が見られるが、格狭間の形や笠上四段とするなど異なっている。 |
「大分の石造美術」(望月友善 著、木耳社)で、永徳四年(1384) 玄正作の宝篋印塔と応永十四年(1407)の宝篋印塔基礎が紹介されているが、
この宝篋印塔は、応永十四年(1407)の作品かもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宝生寺(ほうしょうじ)石造宝塔 塔身
宝生寺(ほうしょうじ)石造宝塔 塔身(鎌倉時代末期 元徳二年 1330年、凝灰岩、高さ 53Cm)
水鉢として使用されている。塔身四面に金剛界四仏の種子を刻む。紀年銘は、今では読めない。
宝生寺(ほうしょうじ)(臨済宗)
大友親隆(ちかたか)により室町時代前期 宝徳二年(1450)に再建された
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*JR豊肥本線 豊後清川駅前から大分バス 市民病院行き乗車、「下市バス停」下車、南方向へ 約3Km。宇田枝石幢から、県道688号線に入り約1.5Km。
(撮影:平成23年3月13日)