千光寺(せんこうじ)(広島県尾道市東土堂町15-1)
来迎印の阿弥陀石仏は、生前に来世の往生菩提を願う逆修塔として桃山時代 天正十七年(1589)に造立された。
千光寺 阿弥陀石仏(市指定文化財、安土桃山時代 天正十七年 1589年、花崗岩、高さ 141Cm)
自然石の前面を舟形に彫りくぼめ、蓮華座上に立つ来迎阿弥陀如来を半肉彫りする。上端に阿弥陀の種子「キリーク」、両側に刻銘を刻む。 |
刻銘は、「阿性禅定尼逆修」「天正十七年(1589)、己丑、二月廿五日」とあり、阿性禅定尼の逆修塔として造立されている。
逆修(ぎゃくしゅ)とは、生前に自らの「来世における往生菩提」の為に仏事を行うことで、死後の追善仏事よりたくさんの功徳を得ることが出来ると説かれた。
中央に大きく刻まれた来迎印の阿弥陀如来は、臨終に際して阿弥陀如来が西方極楽浄土から現世に迎えに来るとされている。
阿弥陀石仏 蓮華座
いかにも桃山時代らしい作りになっている。
刻銘:「天正十七年(1589)、己丑、二月廿五日」 | 刻銘:「阿性禅定尼逆修」 |
千光寺(せんこうじ)(広島県尾道市東土堂町15-1)
薬師と阿弥陀の二尊を刻んだ石仏で、生前に来世の往生菩提を願う逆修塔として桃山時代 天正十七年(1589)に造立された。
千光寺(せんこうじ)二尊石仏(市指定文化財、安土桃山時代 天正十七年 1589年、花崗岩)
舟形に加工した花崗岩の前面に、薬師と阿弥陀の二尊を半肉に陽刻する。二尊の頭上には、各尊を表す種子、両側と中央には銘文を刻む。 |
刻銘:「松厳口口禅定門、松渓妙通禅定尼、逆修」「天正十七年(1589)、己丑」「二月時正」
松厳口口禅定門と松渓妙通禅定尼の逆修塔として桃山時代 天正十七年(1589) 春の彼岸の中日(二月時正)に造立された。
二尊石仏 上部
各尊の頭上、月輪内に種子「キリーク(阿弥陀如来、向って右)」・「バイ(薬師如来、左)」を刻む。
薬師如来、現世利益の仏で、左手に薬壺を持つ。 | 来迎阿弥陀如来、頭上に阿弥陀の種子「キリーク」を刻む。 |
薬師如来は礼拝供養すれば病人も病気が治り長命を得るという現世利益の仏で、来迎阿弥陀如来は臨終に際して阿弥陀如来が西方極楽浄土から現世に
迎えに来るとされる。まさに両尊は、逆修(ぎゃくしゅ)供養にふさわしい「現世安穏、後生善処」の仏といえる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二尊石仏 蓮華座
刻銘:「松厳口口禅定門、松渓妙通禅定尼、逆修」 | 刻銘:「二月時正」(時正:彼岸の中日) |
彼岸日に法事を選んで行うのは、太陽が真東から出て真西に沈む為で、真西に西方極楽浄土がある信じられていた。
浄土寺奥の院から見た尾道水道と千光寺山
向って右端の小山が千光寺山。千光寺は、その中腹に建っている。
*JR 尾道駅前より おのみちバス市内本線東行きに乗車、「長江口バス停」下車。近くの千光寺ロープウェイ山麓駅から山頂へ。山頂から約10分下れば千光寺。阿弥陀石仏(逆修塔)は本堂の南側 道路沿いに、二尊石仏は前述 阿弥陀三尊磨崖仏の横に立っている。
(撮影:平成24年9月23日)