濡衣塚(ぬれぎぬづか)(福岡県福岡市博多区千代3-2-9)
自然石の前面に三尊種子を刻んだ板碑で、「濡れ衣」の由来となった伝承がある。南北朝時代前期 康永三年(1344)の紀年銘を刻む。
濡衣塚 三尊種子板碑 (県指定文化財、南北朝時代前期 康永三年 1344年、玄武岩、高さ 165Cm)
幅(143Cm)の広い自然石を使用し、 表面上方に金剛界大日の種子「バン」、両脇に「ア」・「アク」の梵字を薬研彫する。下方に銘文を刻む |
三尊 種子
上方に金剛界大日の種子「バン」、向かって右下に宝幢如来(胎)の種子「ア」、左下に天鼓雷音如来(胎)の種子「アク」を刻む
金剛界大日如来の種子「バン」 | 種子「バン」の下に刻まれた刻銘 | |
刻銘:「康永三年(1344)、甲申、八月日、接待講衆、合廿七人」 |
板碑 下部
刻銘「康永三年(1344)、甲申、八月日、接待講衆、合廿七人」の周りに二十七名の人名が刻まれている。
人名は、妙阿、弥五郎、又四郎 等、名字がない一般庶民で、この人達が結集して講をつくり、旅人や修行僧に湯水等の接待をした。
濡衣塚 三尊種子板碑 背面 (県指定文化財、南北朝時代前期)
背面から見ると成形されていない自然石であることが良く分かる。
濡衣塚(ぬれぎぬづか)
奈良時代後期 聖武天皇の頃、継母に無実の罪をきせられ、父 筑前国司の手で殺された娘の伝承がある。「濡れ衣」の由来。
*西鉄バス 「石堂大橋バス停」下車、南方向へ 約300m。
(撮影:平成24年1月29日)