善導寺(ぜんどうじ)(福岡県福岡市博多区中呉服町6-24)
元の軍船や宋の商船に使用されていた碇石(いかりいし)を転用し、地蔵を刻んだ板碑で、南北朝時代中期 延文三年(1358)の紀年銘がある。
善導寺(ぜんどうじ)碇石地蔵板碑 (県指定考古資料、南北朝時代中期 延文三年 1358年、花崗岩、高さ 246Cm) |
碇石(いかりいし)は、木材を挟んで碇(いかり)として使用された。通称、蒙古碇石と呼ばれ、両端がやや細くなり、中央に溝が彫り込まれている。
中央の刻銘
地蔵の下に「右志者為、父母二親殊、施主妙阿浄仏、奉造立所也、延文三(1358)七月八日」の刻銘がある。
尚、延文の文の字が不明で、延徳三年(1491)の説もある。
中央上部に、舟形を彫りくぼめ地蔵立像を半肉彫りする | 地蔵は、蓮華座上に立ち、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ |
善導寺 本堂 (浄土宗 鎮西派)
善導寺は、建暦年間(1211~1213)に法然の弟子 鎮西(ちんぜい)上人が開いたと伝える。
*福岡市地下鉄 「呉服町駅」下車、北東方向へ 約80m。
(撮影:平成24年1月29日)
東長寺は、大同元年(806)空海の開基と伝える。永禄年中(1558~70)に兵火にあい荒廃していた所、福岡二代藩主 黒田忠之により現在地に再建された。
黒田家 二代忠行(ただゆき)墓所 (市指定文化財、江戸時代前期、花崗岩)
黒田家第二代忠行、慶長七年~承応三年(1602~1654)
黒田家 三代光行(みつゆき)墓所 (市指定文化財、江戸時代中期、花崗岩)
黒田家第三代光行、寛永五年~宝永四年(1628~1707)
黒田家 八代治高(はるたか)墓所 (市指定文化財、江戸時代後期、花崗岩)
黒田家第八代治高、宝暦四年~天明二年(1754~1782)
東長寺(とうちょうじ)五重塔 (平成23年 2011年)
*福岡市地下鉄 「祇園駅」下車、北方向へ徒歩 1分。
(撮影:平成24年1月29日)