我国の構造的な石橋は、桃山・江戸時代に入り遺構を残している。ここ竹田城下には、江戸時代中期の石橋が、五つ残っている。
常光寺(じょうこうじ)(兵庫県朝来市和田山町竹田950)
但馬地方の在銘石橋では、最も古い宝永四年(1707)の銘がある。
常光寺(じょうこうじ)石橋 (江戸時代中期 宝永四年 1707年、花崗岩)
常光寺石橋 側面
橋脚を用いず、桁石を両岸に架け渡し、橋上両側に高欄(勾欄)を設ける。橋板石は、上部を低いアーチ状に加工する。
親柱に「宝永四(1707)丁亥五月」の紀年銘がある | 常光寺は、JR竹田駅西側に隣接する四寺の北から三番目の寺院 |
法樹寺(ほうじゅじ)(兵庫県朝来市和田山町竹田955-1)
法樹寺(ほうじゅじ)は、JR竹田駅西側に隣接する四寺の最北にある寺院で、北側は竹田城への登山道がある。
法樹寺(ほうじゅじ)石橋 (江戸時代中期 享保八年 1723年、花崗岩)
法樹寺石橋 側面
橋脚は、中央と寺院側に用いているが桁受石を用いず補強的に使用する。
基本的には、桁石・橋板石を両岸に架け渡す方式で、橋上両側は耳石を両岸に渡す。
善證寺(ぜんしょうじ)(兵庫県朝来市和田山町竹田949)
善證寺(ぜんしょうじ)は、JR竹田駅西側に隣接する四寺の最南にある寺院。
善證寺(ぜんしょうじ)石橋 (江戸時代中期 享保十七年 1732年、花崗岩)
善證寺石橋 側面
橋脚を中央に用いて、上に桁受石を載せ、桁石・橋板石を中央の橋脚から夫々両岸に架け渡す。橋上両側に高欄(勾欄)を設ける。
尖頭方柱の親柱に夫々「享保十七(1732)、壬子、九月日」の紀年銘と施主「隔夜庄五郎」の名を刻んでいる |
勝賢寺(しょうけんじ)(兵庫県朝来市和田山町竹田953)
勝賢寺(しょうけんじ)は、JR竹田駅西側に隣接する四寺の北から二番目にある寺院。
勝賢寺(しょうけんじ)石橋 (江戸時代中期、花崗岩)
勝賢寺石橋 側面
橋脚を中央に用いて、上に桁受石を載せ、桁石・橋板石を中央の橋脚から夫々両岸に架け渡す。橋上両側に耳石を設ける。
旧えびす橋(兵庫県朝来市和田山町竹田)
旧えびす橋はJR竹田駅の南 約300m、線路東側に隣接する こんぴら神社に架かる橋。
旧えびす橋 (江戸時代中期 宝永元年 1704年、花崗岩)
旧えびす橋 側面
橋脚を中央に用いて、上に桁受石を載せ、桁石・橋板石を中央の橋脚から夫々両岸に架け渡す。橋上両側に耳石を設ける。
こんぴら神社
石鳥居の扁額には、「金比羅大権現」と刻まれている
竹田城跡 (虎臥城:とらふすじょう)(国史跡、日本百名城)
秋から春にかけて雲海に浮かぶシーンが有名な山城(標高353.7m)で、堂々たる石垣が残る。
*JR播但線 「竹田駅」 下車、駅の西(裏)側が寺町通り。
(撮影:平成24年6月25日)