白毫寺(びゃくごうじ)宝篋印塔

 白毫寺(びゃくごうじ)(兵庫県丹波市市島町白毫寺709)

   領主 赤松貞範により建立された宝篋印塔で、石工 藤原行弘の銘がある。南北朝時代中期 貞治四年(1365)の在銘。

白毫寺 宝篋印塔 (県指定文化財、南北朝時代中期 貞治四年 1365年、凝灰岩、高さ 約194Cm)

塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する(正面、ア:宝幢)
宝篋印塔は、薬師堂の南側(手前)、右手に立っている。 塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する(北面、アー:開敷華王)

下端は別石で蓮弁、上は通常の六段。隅飾は二弧輪郭付で縦長、やや外傾する。

塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する(背面、アン:無量寿)
塔身、月輪内に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する(南面、アク:天鼓雷音) 南北朝時代中期 貞治四年(1365)の在銘作品で完存する。

基礎刻銘全文:「供養導師、干時院主、権律師祐賢、石作、藤原行弘」、「時惣政所、赤松得平、大夫法橋、源詮

「春日部庄、當郡領主、播州赤松、前筑前守、沙弥世貞」、「大願主、阿闍梨、行尊、貞治二二(1365)、十一月 日」

基礎 南面

基礎上端は複弁反花、側面(背面を除く三面)は輪郭を巻かないで、直接格狭間をつくる。四面とも刻銘がある。

刻銘:供養導師、干時院主、権律師祐賢、石作、藤原行弘

導師を院主の祐賢が務め、石工は藤原行弘。

福知山市の観興寺(かんこうじ)宝篋印塔と同形式で、同じ石工 藤原行弘の作。

基礎 西面

刻銘:時惣政所、赤松得平、大夫法橋、源詮

相輪は、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、修復のあとが残る。宝篋印塔は、乱石積み土壇上に直接、据えられている。

白毫寺には、もう一基「奉造立、石塔、至徳元(1384)、四月十四日、一結衆等、敬白」銘の宝篋印塔基礎が庫裏に収納されている。

この基礎は上面を穿って水盤としているが、上端複弁反花、側面は三面が輪郭を巻き格狭間をつくり、正面のみ中心飾りつき、背面は素面で上記銘文を刻んでいる。

基礎 北面の刻銘

刻銘:春日部庄、當郡領主、播州赤松、前筑前守、沙弥世貞

沙弥世貞は、領主 赤松貞範の法名で、宝篋印塔は赤松貞範により建立された。

基礎 背面

背面のみ輪郭を巻き内に銘文を刻む。

刻銘:「大願主、阿闍梨、行尊、貞治二二(1365)、十一月 日」

刻銘:「貞治二二(1365)、十一月 日」 隅飾り内部上端に小孔があり、九輪上端から垂飾を固定した

白毫寺(びゃくごうじ) 薬師堂

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白毫寺 (天台宗)

白毫寺は、奈良時代中期 慶雲二年((705) 法道仙人により開かれ、南北朝時代に領主 赤松貞範の保護を受け隆盛を極めた。

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*JR福知山線 「市島駅」 下車、南西方向へ約4Km。

(撮影:平成23年8月17日)