隼人塚(はやとづか) 四天王石像

 隼人塚(はやとづか)(鹿児島県霧島市隼人町内山田265-3)

  須弥壇の仏塔を守護する為、四方に持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)の四尊を配する。

 

隼人塚(はやとづか) 四天王石像 (国史跡、平安時代後期、凝灰岩、高さ 198Cm)

向かって左より、増長天(南)、広目天(西)、持国天(東)、多聞天(北)。四天王は、一石彫成の丸彫り像で、鎧に身を固めた武人の姿で表現される。

 隼人塚(はやとづか)持国天石像 (東方を守護する武神)

隼人塚(はやとづか) 持国天石像 (国史跡、平安時代後期、凝灰岩、高さ 198Cm)

四体の内、唯一の完存作品。邪鬼の上に立ち、鎧に身をかためる。右手を振り挙げ、左手は剣を持ち斜めに構える。兜の正面に獅子面を飾る

邪 鬼

持国天は、右足で邪鬼の頭を踏み、邪鬼はユーモラスな形で蹲っている

 隼人塚(はやとづか)増長天石像 (南方を守護する武神)

足の下方と邪鬼を欠失し、足は補修が施されている。顔面や胸部の摩耗が激しい。分厚い兜を着し、剣を地面に置き両手で支える

 隼人塚(はやとづか)広目天石像 (西方を守護する武神)

後面、向かって左側の作品。足の下方を欠失し、補修が施されている。分厚い兜の前面を獅子面で飾り、戟(げき)を地面に突いている

邪 鬼

広目天は、邪鬼の背に乗り、右足は邪鬼の頭を踏む。

 隼人塚(はやとづか)多聞天石像 (北方を守護する武神)

隼人塚(はやとづか) 持国天石像 (国史跡、平安時代後期、凝灰岩)

後面、向かって右側の作品。多聞天は毘沙門天とも呼ばれる。足の下方を欠失し、補修が施されている。強く見開いた目が印象的。

通形は、憤怒相で甲冑をつけた神将形で表現される。右手は宝棒もしくは三叉戟を持ち、左手は宝塔を捧げ持つ。

邪 鬼

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隼人塚(はやとづか) 全景

四天王は、古代インドで登場し、中央アジアから中国に伝わる内に甲冑を着けた憤怒相の武人の姿で表される様になったと推測されている。

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*JR日豊本線 「隼人駅」下車、南西方向へ 徒歩 約7分。

(撮影:平成24年1月24日)