稲葉崎 阿弥陀三尊種子 自然石塔婆

 稲葉崎(いなばさき)阿弥陀三尊種子自然石塔婆(鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎)

  黄金塔の向かって左側背部の石塔婆群の一基で、角塔婆の横に立つ。妙性(妻)の百か日相当の逆修供養塔。稲葉崎の板碑で最古 建武二年(1335)の銘がある。

稲葉崎 阿弥陀三尊種子自然塔婆 (県指定史跡、南北朝時代前期 建武二年 1335年、凝灰岩、高さ 177Cm 下幅 52Cm)

自然石の表面上方に阿弥陀三尊の種子を刻み、下に観世音菩薩往生浄土本縁経に出る偈(げ)、その下に願文・紀年銘を刻む

観世音菩薩往生浄土本縁経に出る偈(げ)

偈(げ):「一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)即滅無量罪(そくめつむりょうざい)現受無比楽(げんじゅむひらく)後生清浄土(ごしょうしょうじょうど)

[ 一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生には浄土に生まれん。]

石塔婆、上方の阿弥陀三尊種子 石塔婆、下方の刻銘

石塔婆の上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、その下向かって右に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻み阿弥陀三尊とする。

石塔婆、最下部の刻銘

刻銘:「右志者為比丘尼、妙性後生菩提乃、至法界平等利益也」、「建武二年(1335)三月二日、敬白、相当一百ケ日」

妙性(妻)の後生菩提を願って、百か日相当逆修供養塔として、南北朝時代初期の建武二年(1335)に造立された。

刻銘:「建武二年(1335)三月・・・・、相当一百ケ日 百か日相当逆修供養塔は、妙性のものだけで道性のものはない

建武二年(1335)銘は、稲葉崎の板碑で最古にあたり、このことからも稲葉崎供養塔群が、道性・妙性夫妻を中心として造塔されたことがわかる。

  稲葉崎(いなばさき)供養塔群

稲葉崎(いなばさき)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代前期、凝灰岩)

角塔婆①から④の自然石塔婆までは、道性、妙性のどちらか、あるいは両者の逆修塔婆。

①は道性と妙性の名を刻んだ逆修塔、③は道性の三年相当、④は妙性の三年相当 逆修供養塔として造立されている。

 稲葉崎(いなばさき)一尊種子自然石塔婆                      石仏と石塔-目次!

稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年)

黄金塔の向かって左側、少し離れて角塔婆、その横、木蔭にこの石塔婆が見える。

 板碑(いたび)

*JR肥薩線 栗野駅前から南国交通バス 鹿児島空港行きに乗車、「稲葉崎上バス停」下車、北方向へ 徒歩 約3分。または、ふるさとバス(轟方面)に乗車「稲葉崎上バス停」下車。轟(とどろき)簡易郵便局の北側の山あたりが稲葉崎供養塔群。

(撮影:平成24年1月25日)