稲葉崎(いなばさき)不動一尊種子板碑

 稲葉崎(いなばさき)不動一尊種子板碑(鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎)

  黄金塔の向かって右側立つ板碑群で、左から二基目。沙弥 道蓮の逆修百か日相当供養として造立された。南北朝時代前期 暦応二年(1339)の銘がある。

稲葉崎 不動一尊種子板碑 (県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年、凝灰岩、高さ 136.5Cm 下幅 38Cm)

頭部山形を欠損、下に二段の切込。身部は上方に不動明王の種子「カーン」を薬研彫し、その下に出典不詳の偈(げ)・造立趣旨・紀年銘を刻む。

板碑 頂部

頭部山形を欠損、下に二段の切込、額部はやや長く突出する。

身部上方に刻まれた、不動明王の種子「カーン」 板碑の下方は、出典不詳の偈・造立趣旨・紀年銘を刻む

板碑、下方の刻銘 (偈・造立趣旨・紀年銘)

刻銘:「法身如来 法界塔婆、大日如来 三摩耶形、右志者為沙弥道蓮、後生菩提乃至法界平等利益也」

中央に「暦応二年(1339)八月廿二日、一百ケ日相当と刻む。

黄金塔が造立された一ケ月強 後の暦応二年(1339)八月二十二日。沙弥 道蓮が逆修百か日相当にあたり、自身の後生菩提を願って造立した。

大日如来の塔として造立した旨が刻まれており、身部に不動明王の種子を刻む。これは、不動明王が大日如来の使者としての役割を担っているからだろう。

法身如来 法界塔婆  大日如来  三摩耶形

偈(げ)

偈(げ)「法身如来(ほっしんにょらい) 法界塔婆(ほっかいとうば)」、「大日如来(だいにちにょらい) 三摩耶形(さんまやぎょう)

[ 根本的な如来をあらわす、すべての塔婆は、大日如来の、三摩耶形なり ]

三摩耶形:仏菩薩の本誓(本願)を象徴する器形で、不動明王の利剣、大日如来の卒塔婆、薬師如来の薬壺などがこれにあたる。

また、本来の偈は、「本地法身 法界塔婆 大日如来 三摩耶形」で、本板碑は一句目が少し変化している。

稲葉崎(いなばさき)種子二連板碑

  文和四年(1355)銘の二連板碑と同じ形式の小板碑で、黄金塔の向かって右横に立つ。種子の他は、何も刻まれていない。

稲葉崎(いなばさき) 種子二連板碑(県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、高さ 86Cm 下幅 39Cm)

二基を一石で作る二連板碑、左右の高さが異なる。向かって右、背の低い板碑の身部上方に薬師如来の種子「バイ」、左は阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。

板碑 頂部

頭部山形、下に二段の切込、額部は縦に長く突出する。

身部上方は、向かって左側に阿弥陀如来の種子「キリーク」、右側に薬師如来の種子「バイ」を薬研彫する。

このほか、この石塔婆群から北方向に少し離れた林の中に、稲葉崎供養塔群 板碑中、下限の紀年銘 応永十年(1403)銘(室町時代初期)二連板碑(高さ114Cm)が立っている。

稲葉崎(いなばさき)大日種子板碑

 黄金塔の向かって右側立つ板碑群で、左から三基目。黄金塔を始め、石塔は東向きに立っているが、この板碑は南向きに立っている。種子以外の刻銘はない。

稲葉崎(いなばさき)大日種子板碑(県指定史跡、南北朝時代、凝灰岩、高さ 188Cm 下幅 48Cm)

頭部山形及び額部を損傷する。額部は、金剛界大日の種子「バン」と胎蔵界大日の種子「ア」、身部上方には五点具足の胎蔵界大日如来の種子「アーンク」を刻む。

板碑 頂部

頭部山形を損傷、下に二段の切込、額部は向かって右面を損傷する。

額部は、向かって左側に金剛界大日の種子「バン」、右側に胎蔵界大日如来の種子「ア」を刻む。「ア」の部分は損傷している。

身部上方、五点具足の胎蔵界大日の種子「アーンク」 身部、もと墨書きで銘文が書かれていたかもしれない

  稲葉崎(いなばさき)板碑群(黄金塔の向かって右側)

稲葉崎(いなばさき)板碑群 (県指定史跡、南北朝時代前期、凝灰岩)

画面左端、黄金塔 道性塔の部分。画面中央左から、二連板碑 、暦応二年銘不動種子板碑、大日種子板碑

 稲葉崎(いなばさき)阿弥陀三尊種子板碑                     石仏と石塔-目次!

稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年)

黄金塔の向かって右側、小さく上記二連板碑が見える。

 板碑(いたび)

*JR肥薩線 栗野駅前から南国交通バス 鹿児島空港行きに乗車、「稲葉崎上バス停」下車、北方向へ 徒歩 約3分。または、ふるさとバス(轟方面)に乗車「稲葉崎上バス停」下車。轟(とどろき)簡易郵便局の北側の山あたりが稲葉崎供養塔群。

(撮影:平成24年1月25日)