稲葉崎(いなばさき)建武二年銘 角塔婆

 稲葉崎(いなばさき)建武二年銘 角塔婆(鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎)

  黄金塔の向かって左側背部に立つ。道性・妙性 夫妻の名が刻まれた逆修供養塔群の向かって右端の角塔婆。稲葉崎の板碑で最古 建武二年(1335)の銘がある。

稲葉崎角塔婆 (県指定史跡、南北朝時代前期 建武二年 1335年、凝灰岩、高さ 145Cm 幅 44Cm 側面幅 31Cm)

四面に、刷毛書き薬研彫の荘厳体梵字を大きく深く刻む。上写真は、現在の正面(東面)。以前は、背面(西面)であった。

  角塔婆 南面

南面、愛染明王の種子「ウーン」を大きく刻み、下に法華経 如来神力品 第二十一に出る偈(げ)と造立年干支を刻む

南面下部 の刻銘

左右に 法華経 如来神力品 第二十一に出る偈(げ)、中央に「大歳 乙亥」と刻む。

大歳は「おおみそか」、乙亥は建武二年(1335)の干支

偈(げ):「於我滅度後(おがめつどご)應受持斯経(おうじゅじしきょう)」「是人於仏道(ぜにんおぶつどう)決定無有疑(けつじょうむうぎ)

[ 我が(釈迦)滅度の後に於いて、まさにこの経を受持すべし、この人仏道において、決定して疑いあることなし ]

  角塔婆 西面

西面、中央に縦線を引き二連碑の形にする。向かって右に愛染明王の種子「ウーン」、左に制叱迦童子の種子「セイタカ」を刻む

種子「ウーン」の下に菩提心論に出る偈(げ)と願文・紀年銘、種子「セイタカ」の下に法華経 方便品に出る偈と願文・紀年銘を刻む。

角塔婆下方、向かって右側、愛染明王の種子「ウーン」の下に刻まれた菩提心論の偈(げ)刻銘

偈(げ):「若人求仏慧(にゃくにんぐぶつえ)通達菩提心(つうたつぼだいしん)」、「父母所生身(ぶもしょしょうしん) 即証大覚位(そくしょうだいかくい

[ もし人ありて仏慧を求め、菩提を求める心達したならば、父母の産んでくれたこの身ながら、速やかに大覚位を証することができる ]

偈の下、左右に「右志者為沙弥道性、後生安楽」、「菩提乃至法界平等利益」、中央に「建武二年(1335)三月二日、敬白

角塔婆西面、下部の刻銘 刻銘「建武二年(1335)三月」

向かって左側、制叱迦童子(不動明王の脇侍)の種子「セイタカ」の下に刻まれた法華経 方便品の偈(げ)刻銘

偈(げ):「諸法従本来(しょほうじゅうほんらい)常自寂滅相(じょうじじゃくめつそう)」、「仏子行道已(ぶっしぎょうどうい) 来世得作仏(らいせいとくさぶつ

[ 諸法はもとよりこのかた、常に自ら寂滅の相なり、仏子(仏弟子)は道を行じ終われば、来世に仏となることを得ん ]

偈の下、左右に「右志者為比丘尼妙性、後生善所」、「菩提乃至法界平等利益」、中央に「建武二年(1335)三月二日、敬白

西面の左右の刻銘から、道性(夫)の後生安楽・妙性(妻)の後生善所を願って、南北朝時代初期の建武二年(1335)に造立されていることがわかる。

建武二年(1335)銘は、稲葉崎の板碑で最古にあたり、このことからも稲葉崎供養塔群が、道性・妙性夫妻を中心として造塔されたことがわかる。

  角塔婆 北面

北面、不動明王の種子「カーンマン」を大きく刻み、下に法華経 方便品に出る偈(げ)を刻む

角塔婆北面、下部に刻まれた法華経 方便品に出る偈(げ)

偈(げ):「十方仏土中(じっぽうぶつどちゅう)唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)」、「無二亦無三(むにやくむさん) 除仏方便説(じょぶつほうべんせつ

[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし。仏の方便の説を除く ]

  角塔婆 正面(東面)

正面(東面)、上・下に三弁宝珠で荘厳された阿弥陀如来の種子「キリーク」を碑面一杯に薬研彫する

  稲葉崎(いなばさき)供養塔群

稲葉崎(いなばさき)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代前期、凝灰岩)

角塔婆①から④の自然石塔婆までは、道性、妙性のどちらか、あるいは両者の逆修塔婆。

②は妙性の百か日相当、③は道性の三年相当、④は妙性の三年相当 逆修供養塔として造立されている。

 稲葉崎(いなばさき)阿弥陀三尊種子 自然石塔婆                 石仏と石塔-目次!

稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年)

黄金塔の向かって左側、少し離れてこの角塔婆が見える。

 板碑(いたび)

*JR肥薩線 栗野駅前から南国交通バス 鹿児島空港行きに乗車、「稲葉崎上バス停」下車、北方向へ 徒歩 約3分。または、ふるさとバス(轟方面)に乗車「稲葉崎上バス停」下車。轟(とどろき)簡易郵便局の北側の山あたりが稲葉崎供養塔群。

(撮影:平成24年1月25日)