稲葉崎供養塔群は、全体として板碑61基、五輪塔265基で計326基になり、未調査分や埋没投棄分を含めると500基前後の大供養塔群であった。
稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)(鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎)
稲葉崎供養塔群の中心をなす大双塔で、道性・妙性 夫妻の逆修十三年相当供養として造立された。南北朝時代前期 暦応二年(1339)の銘がある。
稲葉崎 二尊種子板碑 (県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年、凝灰岩、高さ 310Cm 下幅 58Cm)
二基の板碑は、夫妻の逆修塔婆で、刻まれた年月日が同じ。二基で、一組になっている。
(夫・沙弥 道性)
向かって右側の板碑で、夫・道性の逆修十三年相当供養として造立された。南北朝時代前期 暦応二年(1339)の紀年銘がある。
稲葉崎 二尊種子板碑(道性塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年、凝灰岩、高さ 304Cm 下幅 58Cm)
身部を四区に分け、上から金剛界大日の種子、阿閦如来の種子、法華経化城喩品の偈、造立趣旨・紀年銘・造立者名を刻む。
板碑 頂部
頭部山形、下の二条線はなく、平行二線を線刻し、内に珠文(小円)を配する
上方に刻まれた種子(「バン」、「ウーン」) | 下方は、偈、造立趣旨・紀年銘・造立者名を刻む |
上方に、珠文帯で四方を囲んだ金剛界大日の種子「バン」を月輪内に、下に阿閦(あしゅく)の種子「ウーン」を月輪無しに薬研彫し、下に珠文帯を配する。
十三回忌にわりあてられた仏尊が大日の為、最上部に大日如来が配されているのかもしれない。
法華経化城喩品の偈(げ)
上・下を珠文帯で区画し、内を八行五字詰めに罫を引き、偈(げ)を刻む。
偈(げ):「今以何因縁(こんにがいんねん)、我等諸宮殿(がとうしょくうでん)」「威徳光明曜(いとくこうみょうよう)、厳飾未曾有(ごんじきみぞう)」
「如是之妙相(にょぜしみょうそう)、昔所未聞見(しゃくしょみもんけん)」「為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)」
(今、何の因縁をもって、我等が諸々の宮殿は、威徳ある光明に輝き、厳かに飾られること未曾有である。かくの如き妙相は、
昔よりいまだ聞いたことも見たこともない。大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか。)
板碑、最下部の刻銘 | 稲葉崎の板碑は、南北朝時代前期に、ほぼ 集中している |
板碑、最下部の刻銘(造立趣旨・紀年銘・造立者名)
外の両側に「右卒塔婆者、為沙弥道性、現世安穏後生」「善処、乃至法界平等利益也、仍造立如件」、
中央に「暦応二年(1339)七月十三日、相当第十三天」、その両側に「信心大檀那沙弥道性幷孝子等各敬白」「大工乗性、小工了密等各敬白」と刻む
(自らの逆修十三年相当にあたり、子息等の援助を受け、現世の安穏と後生の成仏を願って、この卒塔婆を造立した。石大工名も刻まれている。)
(妻・比丘尼 妙性)
向かって左側の板碑で、妻・妙性の逆修十三年相当供養として造立された。夫・道性と同じ南北朝時代前期 暦応二年(1339)の紀年銘がある。
稲葉崎 二尊種子板碑(妙性塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年、凝灰岩、高さ 310Cm 下幅 58Cm)
身部を四区に分け、上から胎蔵界大日の種子、薬師如来の種子、法華経化城喩品の偈、造立趣旨・紀年銘・造立者名を刻む。
板碑 頂部
頭部山形、下の二条線はなく、平行二線を線刻し、内に珠文(小円)を配する
上方に刻まれた種子(「ア」、「バイ」) | 下方は、偈、造立趣旨・紀年銘・造立者名を刻む |
上方に、珠文帯で四方を囲んだ胎蔵界大日の種子「ア」を月輪内に、下に薬師如来の種子「バイ」を月輪無しに薬研彫し、下に珠文帯を配する。
法華経化城喩品の偈(げ)
上・下を珠文帯で区画し、内を八行五字詰めに罫を引き、偈(げ)を刻む。
偈(げ):「我等諸宮殿(がとうしょくうでん)、光明甚威曜(こうみょうじんいよう)」「此非無因縁(しひむいんねん)、是相宜求之(ぜそうぎぐし)」
「過於百千劫(かおひゃくせんごう)、未曾見是相(みぞうけんぜそう)」「為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)」
(我等が諸々の宮殿は、光明甚だ たけく輝く。此れ因縁無きにあらず、この姿は宜しく之を求むべし。百千劫を過ぎ
るとも、未だかってこの姿を見ず。之は大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか。)
女性の供養塔のせいか、刻銘は草書体で刻まれる | 板碑、最下部の刻銘 |
板碑、最下部の刻銘(造立趣旨・紀年銘・造立者名)
外の両側に「右造立之意趣者、為比丘尼妙性、相当第十三年」「後生菩提、乃至法界平等利益也、仍造立如件」、
中央に「暦応二年(1339)大歳、己卯、七月十三日、孝子等、各敬白」と刻む
(比丘尼 妙性の逆修十三年相当に、子息等が後生の菩提を願って、この卒塔婆を造立した。)
稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔) 背面
稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)(県指定史跡、南北朝時代前期 暦応二年 1339年)
黄金塔の向かって左側に、道性、妙性の、百か日・三年忌の逆修塔婆が立っている。三十三年忌はなく、この逆修十三年相当供養の黄金塔が最終となっている。
このことから、道性・妙性夫妻や家族にとって、この黄金塔は、夫妻の逆修供養塔として、総仕上げ的な意味があったと思われる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、死後の七日ごとに機会を得て、人間等に生まれ代わる思想があり、日本人は七回(四十九日)までの転生が危ぶまれていた。逆修の場合は、百か日・一周年・
三年・十三年・三十三年などを設定し、最悪 三十三年までに転生すると考えたという。この思想は、その後「十三仏信仰」へと発展する。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
室町時代以降流行した十三仏は、死者の追善供養のために初七日(不動)、二七日(釈迦)、三七日(文殊)、四七日(普賢)、五七日(地蔵)、六七日(弥勒)、七七日
(薬師)、百ヶ日(観音)、一周忌(勢至)、三回忌(阿弥陀)、七回忌(阿閦)、十三回忌(大日)、三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・・
最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。
*JR肥薩線 栗野駅前から南国交通バス 鹿児島空港行きに乗車、「稲葉崎上バス停」下車、北方向へ 徒歩 約3分。または、ふるさとバス(轟方面)に乗車「稲葉崎上バス停」下車。轟(とどろき)簡易郵便局の北側の山あたりが稲葉崎供養塔群。
(撮影:平成24年1月25日)