田尾原(たおばる)角塔婆(鹿児島県姶良郡湧水町田尾原)
背の高い角塔婆 二基の内、向かって右側の角塔婆で、妙清(夫)の逆修三十三年相当供養として造立された。延文五年(1360)の北朝銘がある。
田尾原 角塔婆(妙清塔)(向かって右側) (県指定史跡、南北朝時代中期 延文五年 1360年、凝灰岩、高さ 197Cm)
二基の板碑は夫妻の逆修供養塔で、刻まれた年月日が同じ。偈文も、隣の妙栄塔からこの妙清塔へと続いており、二基で一組になっている。
角塔婆頂部(正面)、胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する | ||
正面に刻銘があり、他の三面も偈文が墨書されていたという | 角塔婆頂部(北面)、阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する |
田尾原 一尊種子板碑(妙清塔) (県指定史跡、南北朝時代中期 延文五年 1360年、凝灰岩、高さ 197Cm 幅 33Cm角)
頂部四面に種子を薬研彫し、その下に法華経 如来神力品 第二十一に出る偈(げ)を刻み、下方に造立趣旨・紀年銘を刻む。
角塔婆頂部(背面)、不動明王の種子「カーン」を薬研彫する | 角塔婆頂部(南面)、薬師如来の種子「バイ」を薬研彫する |
角塔婆 頂部の種子「バイ(薬師如来)」は図案化され、種子「キリーク(阿弥陀如来)」の涅槃点の下側が、向かって左下に彫られている。
四行五字詰めを二段にして罫を引き、法華経 如来神力品 第二十一に出る偈(げ)、その下側に造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
法華経 如来神力品に出る偈(げ)、上段
偈(げ):「於如来滅後(おにょらいめつご)、知仏所説経(ちぶつしょせっきょう)、因縁及次第(いんねんぎゅうしだい)、随義如実説(ずいぎにょじっせつ)」
[ 如来の滅後において、仏の説く経の因縁及び次第を知り、義に従って実(まこと)の如く説けば、
法華経 如来神力品に出る偈(げ)、下段
偈(上から続く):「如日月光明(にょにちがっこうみょう)、能除諸幽冥(のうじょしょゆうみょう)、斯人行世間(しにんぎょうせけん)、能滅衆生闇(のうめつしゅじょうあん)」
日月の光明が、よく諸々の幽冥(くらやみ)を除くが如く、この人世間に行じて、よく衆生の闇(やみ)を滅するだろう。]
下部、刻銘 全文 | 刻銘:「延文五年(1360)、庚子、四月八日、逆主(逆修)」 |
刻銘全文:「右造立志者、為妙清禅門之相当三十三年、如此修善根於施所也、乃至法界衆生平等、而已」
「延文五年(1360)、庚子、四月八日、逆主(逆修)、施主、敬白」
延文五年(1360)四月八日、妙清禅門 逆修三十三年相当にあたり、この角塔婆を造立した。
稲葉崎の道性・妙性夫妻の逆修供養塔では、妙性塔に比し夫 道性塔の方が小さかったが、田尾原では夫 妙清塔の方が大きい |
栗野町郷土誌によれば、妙清・妙栄 両角塔婆の正面と他の三面(墨書)に法華経 如来神力品 第二十一と法華経 如来寿量品 第十六に出る偈(げ)が書かれていたという。
田尾原(たおばる)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代中期、凝灰岩)
②・③は、妙清・妙栄の十三年相当 逆修供養塔。④は、妙栄の三十三年相当 逆修角塔婆。⑤は、妙清の三十三年相当 逆修角塔婆。
田尾原(たおばる)供養塔群 (県指定史跡、南北朝時代中期頃、凝灰岩)
*JR肥薩線 栗野駅前から、ふるさとバス(轟方面)に乗車、「田尾原公民館前バス停」下車 北方向へ徒歩 約6分。
(撮影:平成24年1月25日)