伝 畠山(はたけやま)重保墓 宝篋印塔

 伝 畠山(はたけやま)重保墓 宝篋印塔 (神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目)

   宝篋印塔は畠山重忠の長子 重保邸跡に立ち、畠山重保墓と伝える。室町時代初期 明徳四年(1393)の在銘塔。

伝 畠山六郎重保墓 宝篋印塔(市指定文化財、室町時代初期 明徳四年 1393年、安山岩、高さ 345.5Cm)

塔身、輪郭を巻き内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、ウーン:阿閦)
宝篋印塔は、「鶴岡八幡宮一の鳥居」西側、歩道の横に立っている。 塔身、輪郭を巻き内に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク:宝生)

笠の段型は下二段、上五段で最上部は側面二区の露盤とし、隅飾は二弧輪郭付で外傾する。

塔身、輪郭を巻き内に金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀)
塔身、輪郭を巻き内に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) 宝篋印塔は、畠山重忠の長子 重保邸跡に立ち、畠山重保墓と伝える。

宝篋印塔は、畠山六郎重保墓と伝える所から、通称「六郎様」と呼ばれ、咳(せき)の病気で苦しむ人が願をかければ治るという民間信仰があったという。

基 礎

基礎上端は二段の段型、側面は四面とも関東形式の二区。

基礎正面の刻銘

刻銘:「明徳第四(1393)癸酉、霜月三日、大願主 比丘道友」

宝篋印塔は、比丘 道友が大願主となり室町時代が始まった明徳四年(1393)十一月に造立された。

畠山重保は元久二年(1205)に殺害されており、亡くなった時より188年も経過していて、墓としては時代が合わない。

相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、水煙、宝珠で、層塔型の相輪がついている。明徳四年(1393)の在銘塔で、時代判定の基準となり貴重。

台  座

上端は複弁反花、側面は四面とも二区の関東形式。

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鶴岡八幡宮石鳥居(一の鳥居)(重要文化財、江戸時代前期 寛文八年 1668年、花崗岩、高さ 850Cm)

宝篋印塔は写真右端、バスの横、歩道後方に立っている。

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*JR横須賀線 「鎌倉駅」下車、南方向へ徒歩 約8分。

(撮影:平成24年11月7日)