畠山重忠史跡公園 阿弥陀一尊種子板碑

 畠山重忠(はたけやましげただ)史跡公園(埼玉県深谷市畠山520)

  板碑は鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の在銘で、畠山重忠(元久二年 1205年 没)の百年忌にあたって造立された。

畠山重忠史跡公園 阿弥陀一尊種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元二年 1304年、緑泥片岩、高さ 136Cm 下幅 32Cm)

六基の五輪塔を安置した畠山重忠 墓の手前、左手に立っている。身部上方に阿弥陀如来の種子、下方に光明真言と紀年銘を刻む

板碑 頂部

頭部山形、下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く

三弁宝珠を刻み、荘厳体で阿弥陀の種子「キリーク」を刻む 身部下方、中央に紀年銘、左右に各二行で光明真言を刻む

銘文:中央に「嘉元二年(1304)甲辰卯月九日」の紀年銘

左右に光明真言「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」を梵字で刻む

板碑は、畠山重忠が元久二年(1205) 横浜市二俣川にて 四十二歳で戦死の後、百年忌にあたり供養の為造立されたものと伝える。

身部 下方

根部は、薄く突出する

三弁宝珠の下、蓮華座上の荘厳体阿弥陀種子が印象的 下部中央の刻銘:「嘉元二年(1304)

 畠山重忠(はたけやましげただ)主従 五輪塔(埼玉県熊谷市西別府2044)

畠山重忠 墓 五輪塔(奥面中央)(県指定史跡、鎌倉時代後期~南北朝時代、凝灰岩、総高 169Cm))

畠山重忠主従の墓として六基の五輪塔が安置されている。中央の一番大きい五輪塔が畠山重忠の墓

奥面、向かって左側の五輪塔、各輪に梵字を刻む 奥面、向かって右側の五輪塔、水輪を欠失する

奥の面に、畠山重忠の五輪塔を挟んで各一基、向かって右側手前に二基、左側手前に一基、計六基が安置されている

向かって右側、手前の五輪塔 二基

最も五輪塔らしい二基で、鎌倉時代後期風

向かって左側、手前の五輪塔 畠山重忠の像(史跡公園入口)

銅像は、一ノ谷の合戦で愛馬三日月を背に鵯越(ひよどりごえ)を下りる畠山重忠

六基の五輪塔は、畠山重忠塔を中心に安置されている

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畠山重忠(はたけやましげただ)墓 (県指定史跡)

 板碑(いたび)

*秩父鉄道「永田駅」下車、南東方向に約1.3Km。

(撮影:平成23年10月30日)