大慈寺(だいじじ)(熊本県熊本市野田1-7-1)
宝篋印塔は、鎌倉時代後期 正安二年(1300)に八十四歳で示寂した開山 寒厳禅師 義尹(ぎいん)の墓として霊廟に祀られている。
大慈寺(だいじじ)宝篋印塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期 、凝灰岩、高さ 212.5Cm)
塔身東面、四面とも素面で、なにも刻まれていない | ||
大慈寺開山、寒厳禅師廟所の中、墓塔として祀られている | 塔身西面、四面とも素面で、なにも刻まれていない |
笠
笠の段型は下二段、上四段、隅飾は二弧輪郭付で、やや外傾する
相輪は下から、露盤、伏鉢、請花、九輪は七輪しかなく、上の請花、宝珠へと続く。露盤と相輪が、一石で作られている。 |
基 礎
基礎上端は二段、側面は四面とも素面で、何も刻まれていない。
宝篋印塔は、新補の高欄を巡らした高い基壇上に据えられている。寒厳禅師義尹が天皇家の落胤(順徳天皇あるいは後鳥羽天皇)であったからか、正面に菊花紋が配されている。
大慈寺開山、寒厳(かんがん)禅師 廟所
寒厳(かんがん)禅師 義尹(ぎいん)は、正安二年(1300)に八十四歳で示寂した。
大慈寺 (曹洞宗)
寒厳禅師は、建長五年(1253)と文永元年(1264)に二度入宋して帰国後、九州各地に寺院を建立した。
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*JR鹿児島本線 「川尻駅」下車、南東方向へ徒歩 約26分。
(撮影:平成24年1月26日)