西安寺(さいあんじ)五輪塔群(熊本県玉名郡玉東町西安寺)
相良氏の立派な五輪塔三基の向かって左側、やや小さい五輪塔が三基安置されている。三基のうち、向かって右から四号塔~六号塔。
寄せ集めの五輪塔で、地輪に南北朝時代中期 文中二年(1373、南朝年号)の紀年銘がある。
西安寺五輪塔 四号塔 (県指定文化財、南北朝時代中期 文中二年 1373年、凝灰岩)
小さい五輪塔三基のうち、向かって右側の五輪塔。各輪、寄せ集めの塔で、地輪に南北朝時代中期 文中二年(1373)の刻銘がある |
地 輪 西 面
地輪は頂部中央がわずかに膨らみ水切りになっている。側面は、四面に四門の梵字を月輪内に薬研彫する。
南北朝時代中期の在銘で、鎌倉期の作品に比べると梵字も小さく力強さに欠けている。西面 「アン」の両側に刻銘がある。
刻銘全文:「右志趣者三宝口口口、沙弥・・・・、為現当之口地子、安口」、「旹文仲二年(1373)、癸丑、八月中口」
地輪 西面、向かって左側の刻銘 | 地輪 西面、向かって右側の刻銘 |
地輪、西面 (「アン面」)の刻銘
右側の刻銘:「右志趣者三宝口口口、沙弥・・・・、為現当之口地子、安念」
左側の刻銘:「旹文仲二年(1373)、癸丑、八月中口」
西安寺(さいあんじ)五輪塔 五号塔 (県指定文化財、凝灰岩)
小さい五輪塔三基のうち、中央の五輪塔。寄せ集めの塔。
寄せ集めの五輪塔で、地輪に一号塔と同年の鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の紀年銘がある。
西安寺 五輪塔 六号塔 (県指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元二年 1304年、凝灰岩)
小さい五輪塔三基のうち、左側の五輪塔。寄せ集めの塔で、地輪南面に一号塔と同年の鎌倉時代後期 嘉元二年(1304)の刻銘がある |
水輪 南面
水輪は首部があり宝塔の流用か?。四面に刻まれた梵字も、正面から時計回りに「キリーク」、「ビ」、「ウ」、「アク」で変わっている。
地 輪 南 面
地輪は頂部中央がわずかに膨らみ水切りになっている。側面の梵字は四門の梵字ではなく、正面から時計回りに「ア」、「バン」、
「タラーク」、「アク」を月輪内に薬研彫する。四号塔に比べると梵字も大きく力強い。南面 「バン」の両側に刻銘がある。・・・・・・・
刻銘全文:「洛陽六波羅住、諸岡三郎左衛門、入口沙弥定智」、「嘉元二年(1373)、壬辰、七月九日、酉剋入滅、生年、六十九」
地輪 南面、向かって左側の刻銘 | 地輪 南面、向かって右側の刻銘 |
地輪、南面 (「バン面」)の刻銘
右側の刻銘:「洛陽六波羅住、諸岡三郎左衛門、入口沙弥定智」
左側の刻銘:「嘉元二年(1373)、壬辰、七月九日、酉剋入滅、生年、六十九」
洛陽六波羅住、諸岡三郎左衛門が嘉元二年(1373)七月九日に六十九歳で亡くなり、墓塔として建立された。
西安寺(さいあんじ)小型五輪塔群 (県指定文化財、鎌倉時代後期~南北朝時代)
向かって右が文中二年(1373)塔④、中央が無銘塔⑤、左端が嘉元二年(1304)塔⑥
西安寺 五輪塔群
五輪塔群は向かって右から一号塔~六号塔。切石の基壇上に安置され、一・三号塔は更に一段、二号塔は二段積上げられている
①は嘉元二年(1304)銘、②は正嘉元年(1257)銘、③は正応元年(1288)銘
*JR 鹿児島本線「田原坂駅」下車、南西方向へ 約2Km。白山宮の石鳥居をくぐり、拝殿の前を左手に行くと、奥にこの五輪塔群が立っている。
(撮影:平成24年1月27日)