穴太寺(あなおじ)多宝塔(亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46)

  西国三十三ヶ所の第二十一番札所。巡礼で賑わう天台宗の寺院

穴太寺(あなおじ)多宝塔(府指定文化財、江戸時代中期、桟瓦葺、高さ 約13m)


上重、四手先組物、軒は扇垂木

下重、二手先組物、軒は二軒繁垂木

穴太寺は「穴太寺観音縁起」によれば、文武天皇の慶雲年中(704〜708)に大伴古麻呂が薬師如来を本尊として開創した

塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間格子戸、脇間連子窓、中備えは中央間が彫刻 脇間間斗束


上重、尾垂木上に邪鬼がのる

下重、地垂木、軒は二軒繁垂木

村上天皇の応和二年(962)に丹波国曽我部の里に曽我部宮成が、勅を奉じて伽藍を修造し、新たに聖観音菩薩を奉安した

聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚」により世に知られるようになった


下重、中備え中央間の彫刻

下重、柱には粽(ちまき)が入り、唐様の木鼻がつく

塔の内部は、四天柱、来迎壁、須弥壇があり多宝如来・釈迦如来を安置する

穴太寺本堂(江戸時代 元文二年 1737年再建)

鎌倉時代後期には、一遍上人も穴太寺に参詣し逗留した

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本堂前面の観音菩薩の彫刻

穴太寺(仁王門正面より)

本堂には所狭しと札が貼られていた

穴太寺は、安寿と厨子王が山椒大夫ののところから逃げて隠れた寺といわれている

*JR山陰本線亀岡駅下車、京都交通バス乗車約15分で穴太寺前。

(平成18年1月22日撮影)