金輪寺(きんりんじ)五重石塔

 金輪寺(きんりんじ)(京都府亀岡市宮前町宮川 神尾山3)

  寺伝によると、金輪寺は延暦二年(783)西願上人により天台宗として創建され、寛治年間(1087〜93)に明恵上人により再興された。現在は、本山修験宗に属す。

金輪寺五重石塔(重要文化財、鎌倉時代中期 延応二年 1240年、花崗岩、高さ 375Cm)

初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に四方仏を半肉彫りする(東面)
五重石塔は、入口石段を登った境内左側(西側)に立っている 初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に四方仏を半肉彫りする(南面)

初層軸部は背が高く、四隅を面取りする。各面の四方仏は、基礎の胎蔵界四仏に対して、金剛界四仏を表すものと考えられている。

屋  根

屋根の軒反は緩やかで、各層の屋根と軸部は別石で作る古い様式

屋根と軸部が別石の層塔は、滋賀県守山市の東門院五重石塔(鎌倉時代前期)、京都府大山崎町の宝積寺九重石塔(仁治二年 1241年)等がある

初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に四方仏を半肉彫りする(西面)
初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座上に四方仏を半肉彫りする(北面) 屋根と軸部を別石で作る鎌倉時代中期 延応二年(1240)の作品

基礎 東面

基礎は低く、古式を示す。側面中央に月輪を刻み、内に胎蔵界四仏の種子を平底式に刻む(東面、アー:開敷華王)

東面の刻銘:「沙弥西願」

基礎南面、月輪内に胎蔵界四仏の種子を刻む(アン:無量寿) 基礎西面、月輪内に胎蔵界四仏の種子を刻む(アク:天鼓雷音)

基礎 北面

基礎の中央に月輪を刻み、内に胎蔵界四仏の種子を刻む(北面、ア:宝幢如来)

北面の刻銘:「口口二年(1240)庚子、三月廿一日」(口口は延暦と後刻される)

延暦二年(783)と刻まれた延暦の年号は、石が欠けた上に刻まれ、東面の字体とも異なり後刻。

石塔の古い時代様式と残存する庚子(かのえね)の干支により、延応二年(1240)の造立とされている。

尚、寺伝による金輪寺の創建が 「西願上人により延暦二年(783)」 と記されているのは、上記刻銘からきているものと思われる。

相輪は下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠。特に、宝珠の表現が、下部を省略し請花と宝珠で球形になる古風な形をしている

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金輪寺(きんりんじ)五重石塔 (重要文化財、鎌倉時代中期 )

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*宝林寺より歩いてお参りした。約70分。途中、宮川の集落で年配の女性の方に「こんりんじ」はこの道ですか?と聞いたら、宮川神社の横を通って山道を登ると教えてもらった。お礼を言ったときに「きんりんじ」と言うんですよと教えていただいた。

(撮影:平成19年6月10日、平成23年4月5日)