道勝寺跡(どうしょうじあと)宝篋印塔(岡山市北区吉備津1444)
宝篋印塔は無銘で、平安時代後期 寿永二年(1183)木曽義仲の軍に追われ戦死した平家方の武将 妹尾兼安の供養塔とされる。
道勝寺跡(どうしょうじあと)宝篋印塔 (鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 173Cm)
塔身、金剛界四仏の種子を刻む(正面、アク:不空成就如来) | ||
鯉山(りざん)小学校敷地に立つ宝篋印塔で、妹尾兼康の供養塔とされる | 塔身、金剛界四仏の種子を刻む(東面、ウーン:阿閦如来) |
笠
笠の段型は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で内は無地、直立する
塔身、金剛界四仏の種子を刻む(背面、タラーク:宝生如来) | ||
塔身、金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀如来) | 宝篋印塔は、切石の基壇上に繰形座を置き、その上に立っている |
基礎 正面
基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。但し、背面のみ素面。
相輪は、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、宝珠は後補と思われる。表面の風化が進み、塔身の四方仏種子も、よく読めない |
繰形座(くりがたざ)
蓮弁を彫らずに曲線のみにする
正面:「当寺けい内にせのお太郎かねやすのはかしょあり」「道勝寺」 | 石碑背面::「安永八年(1779)十一月建之 本寺現住 瑞雄」 |
正面 石段下の石碑
江戸中期 安永八年(1779)に道勝寺住職 瑞雄が建てた石碑で、平安時代後期 寿永二年(1183)木曽義仲の軍に追われ戦死した、平家方武将 妹尾兼安の墓所としている。
栄西禅師 誕生聖地之碑
吉備津の賀陽(かや)氏の子として生まれた、臨済宗祖 栄西の旧邸に立つ碑で、碑は茶祖を表現しているという
岡山 後楽園(こうらくえん)石塔と石燈籠 石仏と石塔-目次!
吉備津神社(きびつじんじゃ)本殿及び拝殿(国宝、室町時代前期 応永三十二年 1425年再建)
入母屋造の屋根を二つ並べた比翼(ひよく)入母屋造は、他に例を見ない
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*JR吉備線 「吉備津駅」 下車、南方向へ徒歩 約4分。栄西禅師誕生の地は、宝篋印塔から南東方向へ少し。吉備津神社は、吉備津駅下車、南東方向へ徒歩 約10分。
(撮影:平成23年7月18日)