保月石造宝塔(ほづき せきぞうほうとう)

 保月石造宝塔(ほづきせきぞうほうとう)〔岡山県高梁市有漢(うかん)町上有漢9167〕

   宝塔は塔身を失い、二重石塔の形をしている。六角石幢と同じく 井野行恒の作品で、鎌倉時代後期 嘉元三年(1305)の銘がある。

保月(ほづき)石造宝塔(市指定文化財、鎌倉時代後期 嘉元三年 1305年、花崗岩、高さ 245Cm)

二層目軸部、東面の一尊像 (別の石材)
六角石幢の北側に立つ宝塔は、塔身を失い、二重石塔の形をしている 二層目軸部、南面の三尊像 (別の石材)

二層目軸部は、他の層塔の軸部を流用し、東面が二重円光式の彫りくぼめの中に一尊坐像、他の三面は舟形を彫りくぼめた中に三尊立像が陽刻されている。

    (二層部 屋根)

頂部に薄い露盤をつくり、屋根は勾配・軒反とも緩やかに反り、四隅に隅木を刻み出す。

軒裏に一重の垂木型、軒裏中央に円形の作り出しがあり、円形塔身の首部を受ける形になっている。

二層目軸部、西面の三尊像 (別の石材)
二層目軸部、北面の三尊像 (別の石材) 笠裏の先端四隅に風鐸を吊るした小孔が開いている

二層目軸部に刻まれている一尊坐像と三尊立像は、他の層塔の軸部を流用したとはいえ、充分に美しく優秀な作品。

基 礎

基礎は四面とも、輪郭をとり三区に分けられる。東面に刻銘があり嘉元三年(1305)と大工 井野行恒の銘が入っている

東面の刻銘:「敬白」「奉刻彫」「五輪塔婆一基」「右為 先考先妣并 結儀之」「先妣等 生死得脱 造立如」「斯乃至一切平等利益敬伯」

「嘉元三年(1305)乙巳二月十七日」「大願守沙弥西信敬伯」「大工井野行恒」

願主が西信一人で、両親と妻の母親の菩提を弔う供養塔として造立された。

一年後に造立された六面石幢は、西信と妻の西阿が願主となり、初七日から十三年忌に至る十二尊の像を刻み、年忌供養のための指南とした

基礎東面、三区中央の刻銘、下段 三区右端の刻銘:「敬白」「奉刻彫」「五輪塔婆一基」
 三区中央の刻銘:「右為 先考先妣并 結儀之」「先妣等 生死得脱 造立如」「斯乃至一切平等利益敬伯」

基礎東面の刻銘(1)

基礎東面の刻銘(2)

三区左端の刻銘:「嘉元三年(1305)乙巳二月十七日」「大願守沙弥西信敬伯」「大工井野行恒」

大工は、三尊板碑・六面石幢と同じ伊派 四代目の石大工 井野行恒の銘がある

相輪は逓減がつき、上方で折損する。請花は下が低い単弁 基礎・笠・相輪が当初のもので、他は別の石材の寄せ集めになる
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初層軸部、四面とも無地、二層軸部より幅が狭い。他の石塔のもを使用 初層屋根、上方が繰形で、側面は無地。他の石塔のもを使用。

 保月(ほづき)板碑(断碑)                           石仏と石塔-目次!

保月(ほづき)石造宝塔(市指定文化財、鎌倉時代後期)

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*JR高梁駅前のバスセンターより備北バス 川関行きに乗車、「川関口バス停」下車 東方向へ徒歩 約25分。保月三尊板碑より道路に沿って奥(東)へ 約160mの所に保月宝幢と並んで立つ。

(撮影:平成23年9月12日、平成19年8月14日)