保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう)

 保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう)〔岡山県高梁市有漢(うかん)町上有漢9167〕

   保月六面石幢は、伊派の名工 井野行恒(いのゆきつね)の作品で、鎌倉時代後期 嘉元四年(1306)の銘があり、名品として知られている。

保月(ほづき)六面石幢(重要文化財、鎌倉時代後期 嘉元四年 1306年、花崗岩、笠上端迄の高さ 263Cm)

方形の低い基礎上に六角柱の幢身を立て、上に笠と小五輪塔の水輪以上を載せる。五輪塔は後補で、もとは請花・宝珠があったとみられる

幢身の六面にわたって、上方に十二の尊像、その下に銘文や偈文(げぶん)が刻まれている。幢身は、上に向かってやや細くなっている。

石幢は、十三仏の成立する前に、初七日から十三年忌に至る年忌供養のためつくられた。十三仏の成立過程にある例として注目される。

笠は平面六角で、曲面が上方で起こり、下方は下反りがある照りむくり屋根。露盤はなく、軒反は美しい

  第一面の尊像と銘文

  第一面は上方に弥勒 、その下に薬師・釈迦、地蔵・文殊・不動・普賢の六尊、計七尊の下に造立趣旨が刻まれている。

弥勒(第一面の最上段)

二重円光式の中に、蓮華座に坐す弥勒を半肉彫りする

弥勒の下、六尊 七尊の下、造立趣旨

幢身は六面とも、上部に仏坐像、下部に銘文や偈文(げぶん)が刻まれる

第一面の七尊は、弥勒 (上、一段目)、薬師(二段目、向かって左)・釈迦 (二段目、右)、地蔵(三段目、左)・文殊(三段目、右)、不動(四段目、左)・普賢(四段目、右)

第一面の銘文:「右沙弥西信并結儀西阿、従初七日」、「至十三年相当、口彫刻仏菩薩」、「十二尊像、為証大菩提之指南、敬啓白」

(西信と妻の西阿が願主となり、初七日から十三年に至る忌日を司る十二尊の像を刻み、大菩提を証しとする為の指南とする)

薬師如来(向かって左)と釈迦如来 (第一面、二段目 地蔵菩薩(向かって左)と文殊菩薩(第一面、三段目

すべて、二重円光式の中に、蓮華座に坐す尊像を半肉彫りする。

不動明王(向かって左)と普賢菩薩(第一面、四段目

不動明王は岩座に座り、普賢菩薩は象に乗る

  第二面の観音菩薩像と偈文(げぶん)

  第二面は上方に観音菩薩と両脇侍の種子、その下に「請観音経(請観音菩薩消伏毒害駄羅尼呪経)」の偈文(げぶん)が刻まれている。

第二面、観音菩薩と両脇侍の種子(「ビ」・「キリーク」) 第二面、下部に刻まれた偈文

第二面の上部は、二重円光式の彫りくぼめの中に、蓮華座上に坐す観音菩薩が刻まれ、その下に脇侍の種子「キリーク」と「ビ」を刻む

第二面の偈(げ):「衆生若聞名(しゅじょうにゃくもんみょう)、離苦得解脱(りくとくげだつ)」「或遊戯地獄(わくゆうげじごく)、大悲代受苦(だいひだいじゅく)

(衆生もし観音の名を聞けば、苦を離れて解脱することができよう。或は、観音は地獄に周り、その大悲心で衆生に代わって苦しみを受ける。)

  第三面の勢至菩薩像と偈文

  第三面は上方に勢至菩薩と両脇侍の種子、その下に大勢至菩薩(出典未詳)の偈文が刻まれている。

第三面、勢至菩薩と両脇侍の種子(バイ」・「バン」) 第三面、下部に刻まれた偈文

第三面の上部は、二重円光式の彫りくぼめの中に、蓮華座上に坐す勢至菩薩が刻まれ、その下に脇侍の種子「バン」と「バイ」を刻む

第三面の偈(げ):「大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)、示現月天子(じげんがつてんし)」「普照四天下(ふしょうしてんげ)、成就衆生願(じょうじゅしゅじょうがん)

(大勢至菩薩は、姿を変え月天子として示現する。そして、あまねく 四天下を照らし、衆生の願いを成就する。)

保月(ほづき)六面石幢(重要文化財、鎌倉時代後期)

石幢は全国的にも数が少なく、この石幢は重文に指定された名品として知られる

  第四面の阿弥陀如来像と偈文

  第四面は上方に阿弥陀如来と両脇侍の種子で阿弥陀三尊とし、その下に「観世音菩薩往生浄土本縁経」に出る偈文が刻まれている。

第四面、阿弥陀如来と両脇侍の種子(「サク」・「サ」) 第四面、下部に刻まれた偈文

第四面の上部は、二重円光式の彫りくぼめの中に、蓮華座上に坐し定印を結ぶ阿弥陀如来が刻まれ、その下に脇侍の種子「サ」・「サク」を刻み阿弥陀三尊とする

第四面の偈(げ):「一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)即滅無量罪(そくめつむりょうざい)現受無比楽(げんじゅむひらく)後生清浄土(ごしょうしょうじょうど)

(一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生には浄土に生まれん。)

  第五面の虚空蔵菩薩像と偈文

  第五面は上方に虚空蔵菩薩と両脇侍の種子、その下に敬禮(きょうらい)虚空蔵(出典未詳)の偈文が刻まれている。

第五面、虚空蔵菩薩と両脇侍の種子(「ビ」・「アク」) 第五面、下部に刻まれた偈文

第五面の上部は、二重円光式の彫りくぼめの中に、蓮華座上に坐す勢至菩薩が刻まれ、その下に脇侍の種子「アク」と「ビ」を刻む

第五面の偈(げ):「敬禮虚空蔵( きょうらいこくぞう)、能満諸勝願(のうまんしょしょうがん)」「獲得無尽蔵(かくとくむじんぞう)、寿命倶(月弖)(じゅみょうぐちこう)

(月弖)は一字で、致とも胝とも書く

(虚空蔵菩薩を礼拝すれば、諸々のすぐれた願を満たしてくれ、無尽蔵の福徳をうけることができ、寿命の長きことも限りがない)

保月(ほづき)六面石幢(重要文化財、鎌倉時代後期)

笠の上に載る水・火・風・空輪の五輪塔は、同時代の別物で、もとは請花・宝珠を備えていた

  第六面の尊像と銘文

  第六面は上方に不動明王と両脇侍の種子で不動三尊とし、その下に願主・大工名、紀年銘などの銘文が刻まれている。

不動像と脇侍の種子(「コンカラ」・「セイタカ」) 第六面、刻銘全文 刻銘:「嘉元二二(四)(1306)十月廿四日」

第六面の上部は、二重円光式の彫りくぼめの中に、蓮華座上に坐す不動明王が刻まれ、その下に脇侍の種子「セイタカ」と「コンカラ」を刻む

刻銘は、幢身下部の上方に不動経に出る偈(げ)の後の二句「奉仕修行者」「猶如薄伽梵」

中央に、「嘉元二二(四)(1306)十月廿四日」下方に「願主沙弥西信、結儀西阿」「大工井野行恒敬白」と刻む

六面石幢の作者は、保月三尊板碑と同じ井野行恒(いのゆきつね)で、半肉彫りの仏像は芸術的にも大変すぐれている。

幢身下部上方の刻銘:「奉仕修行者」「猶如薄伽梵」 刻銘:「願主沙弥西信、結儀西阿」「大工井野行恒敬白」

幢身下部上方の「奉仕修行者」「猶如薄伽梵」は、不動経の偈、後の二句。

不動経の偈:一持秘密呪(いちじひみつじゅ)、生生而加護(しょうしょうにかご)奉仕修行者(ぶじしゅぎょうしゃ)、猶如簿枷梵(ゆにょばぎゃぼん)

ひとたび秘密呪を持すれば、生生よく加護されん。奉仕(ぶじ)修行すれば、なお簿枷梵(みほとけ)のごとくならん ]

室町時代以降流行した十三仏は、死者の追善供養のために初七日(不動)、二七日(釈迦)、三七日(文殊)、四七日(普賢)、五七日(地蔵)、六七日(弥勒)、七七日

(薬師)、百ヶ日(観音)、一周忌(勢至)、三回忌(阿弥陀)、七回忌(阿閦)、十三回忌(大日)、三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・・

最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。

ここでは、「従初七日至十三年相当」で十二尊の像を刻んだとあり、初七日から十三回忌までとすると不動明王が二体あり、虚空蔵が加えられ、大日如来と阿閦如来が欠

順序も違っている。しかし、趣旨は十三仏と同じで、十三仏の成立過程にある例として注目される。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

基 礎

基礎は、方形で背が低い

 保月石造宝塔(ほづきせきぞうほうとう)                          石仏と石塔-目次!

保月六面石幢と保月宝塔

 石 幢 (せきどう)

*JR高梁駅前のバスセンターより備北バス 川関行きに乗車、「川関口バス停」下車 東方向へ徒歩 約25分。保月三尊板碑より道路に沿って奥(東)へ 約160mの所に保月宝塔と並んで立つ。石幢は、保月から数キロ離れた臍帯寺(ほそおじ)の所有となる。

(撮影:平成23年9月12日、平成19年8月14日)