富貴寺(ふきじ)[大分県豊後高田市田染(たしぶ)蕗2395]
富貴寺には、五基の古い笠塔婆がある。その中で一番古い笠塔婆で、鎌倉時代中期 仁治二年(1241)の銘がある。
富貴寺(ふきじ)阿弥陀三尊種子笠塔婆(県指定文化財、鎌倉時代中期 仁治二年 1241年、安山岩、高さ 145Cm)
請花・宝珠、一石からなり請花は角ばった形。 | ||
笠塔婆は、国宝の大堂に向かって右手、手前に立っている | 笠、軒口薄くゆるやかに反る。上端に露盤を刻出する。 |
塔身上方、阿弥陀三尊種子
上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向かって右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を刻み、阿弥陀三尊とする
塔身、阿弥陀三尊の種子と銘文 | 自然石を半截して塔身とし、上に笠と宝珠を載せ笠塔婆とする |
笠塔婆には、「造立者 広増」の名が刻まれており、富貴寺にある他の四基の笠塔婆にも、同じ広増の名が造立者として刻まれている。
塔身下方の銘文
銘文:「造立者 広増」「仁治二年(1241)辛丑八月十二日」「彼岸第二日」
笠塔婆の原始的な形状で、塔身の前面を平たく削り、阿弥陀三尊種子と紀年銘、造立者名を刻む。塔身は、土中に深く埋められている。 |
仁治二年(1241)から今に至るまで、気の遠くなる様な長い時間を、「存在し続けた美しさ」、 というものがあるのかもしれない。
富貴寺 仁治四年銘 阿弥陀三尊種子笠塔婆 石仏と石塔-目次!
富貴寺(ふきじ)大堂(阿弥陀堂)[国宝、平安時代後期、桁行 三間 梁間 四間、宝形造、本瓦葺(行基葺)]
かつては、講堂として建立された仏堂が大堂(おおどう)の名でのこっている。本尊は、阿弥陀如来坐像(重文、平安時代)。
*かっては宇佐駅からの便があったが、今は廃線になっている。公共交通としては、JR大分駅前・別府駅前・宇佐駅前(同じバス)から大分交通バスの「国東半島史跡めぐり」という定期観光バスの便があるが、1日コースのツアーになり自由に時間をとれない。少し距離はあるが、頑張って宇佐神宮前の「宇佐観光協会」で電動レンタサイクルを借りて回るという手もある。
(撮影:平成23年3月16日)