泉福寺跡(せんぷくじあと)宝塔(国東塔)

 泉福寺跡(せんぷくじあと)(大分県杵築市山香町大字山浦字長田)

   泉福寺跡(せんぷくじあと)にある国東塔で、南北朝時代前期 観応三年(1352)の在銘塔。また、境内の外れには、国指定重要民族文化財の石風呂がある。

泉福寺跡宝塔(国東塔)(県指定文化財、南北朝時代前期 観応三年 1352年、凝灰岩、高さ 205Cm)

相輪下端はやや角ばった形で、伏鉢は低く簡略化され、請花は単弁とする
山浦東部公民館の南東、小高い林の中、泉福寺跡に立っている 塔身首部、一段で、側面無地の首部を作る

傾斜はやや深く緩やかに反り、笠の底辺は水平で軒下の垂木型はなく、上端に露盤を刻出する

塔身は壺型で、首部の一カ所に納入孔を穿ち、内部の空洞に通じる。側面に「講衆、観応三(1352)十 廿五、各口」の刻銘がある

基 礎 ・ 基 壇

三段の基壇、一段で上端反花の基礎、計四段を一石で造る

相輪は下から、低い伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠で、宝珠は国東塔に多い火焔はついていない。装飾の少ないすっきりとした国東塔

泉福寺跡(せんぷくじあと)国東塔(県指定文化財、南北朝時代前期 観応三年十月二十五日)

観応三年(1352)は9月26日迄で、以降は文和元年になり改元のずれが認められる

 泉福寺跡(せんぷくじあと)石造遺品(大分県杵築市山香町大字山浦字長田)

泉福寺跡 宝篋印塔 泉福寺跡 五輪塔

境内に、中世の石造遺品が多く残っている

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 泉福寺跡(せんぷくじあと)石風呂(大分県杵築市山香町大字山浦字長田)

泉福寺跡(せんぷくじあと)石風呂(国指定重要有形文化財、年代不明、浴室入口 高さ 90Cm 奥行 150Cm)

上下二階式で、下部が火口、上部は浴室になる。浴室を構成する材料に板碑(入口にも二基の板碑)や板状の石材を用いる

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*JR日豊本線 「立石駅」下車、南西方向へ約4Km。

(撮影:平成23年3月15日)