法泉庵(ほうせんあん)宝篋印塔

 法泉庵(ほうせんあん)(大分県豊後大野市三重町西泉1688)

  この地方で、南北朝時代に活躍した名工「玄正」の代表的作品。石塔は、地蔵講の結集が正平25年(1370)に造立したもの。

法泉庵(ほうせんあん)宝篋印塔(県指定文化財、南北朝時代中期 正平二十五年 1370年、凝灰岩、高さ 243Cm)

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南西面、アク:不空成就如来)
石造物遺物が多くある中で、宝篋印塔は、ひときわ輝いている 塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北西面、ウーン:阿閦如来)

笠の段型は、下二段、上三段、やや外傾する隅飾は、二弧輪郭付で更に内線を彫り、茨(カスプ)の所で蕨(わらび)文様を刻む。

玄正の作品は、笠上部の段型に特徴があり、一段目は蓮華文様、二段目は二区竪連子、三段目は二区格狭間となっている。

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北東面、タラーク:宝生如来)
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南東面、キリーク:阿弥陀来) 高さ243Cmの大型宝篋印塔。飾りが多い豪華な石塔で、玄正の代表的作品

基 礎

上端は二段、下端は作り出しをつけ複弁の蓮弁を刻む。側面は四面とも二重輪郭を巻き内に格狭間をつくる。

四面とも左右の束に刻銘がある。地蔵講の結衆による造立で、大願主僧良智と六十二名の交名が刻まれている。

相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花、火焔宝珠で、伏鉢と上下の請花は蓮弁が覆輪。基壇は刻銘があり、永禄八年(1565)の追補

法泉庵(ほうせんあん)宝篋印塔(県指定文化財、南北朝時代中期)

宝篋印塔は、笠や基礎をはじめとして、各部分に朱や墨のあとが残っている。

.南東面向かって左側の刻銘 .南東面向かって右側の刻銘 .南西面向かって右側の刻銘

基礎の刻銘

刻銘①:「地蔵講結衆帳次第不動」「大願主僧良智 玄広」、刻銘①と②の間(南西面の左束、北西面、北東面)は、多数の交名が刻まれている。

刻銘②:「右功徳聚之素意者為憑六道能化之誓約」「救六趣感酬之苦域界面々之直信人々各」「各之仰崇若者品此厳切者」

刻銘③:「毎日晨朝之口風迹払有之妄雲無仏」「者心之悟口口任揮口之本堯焉」「正平廿五年(1370)庚戌卯月廿四日、大工玄正、鍛冶妙心」

 法泉庵(ほうせんあん)の石造物

法泉庵 敷地内の石造物

板碑等、石造物が置かれている

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*JR豊肥本線「三重町駅」下車、北東方向へ 約300m先の「大野竹田バス本社バス停」から辻行きに乗車、「堂の前バス停」下車、左手(南西方向)の細い路地を突き当り、右側に10m位行った所にある。又は、三重駅より北方向へ 徒歩 約3Km。

(撮影:平成23年3月12日)