蓮城寺(れんじょうじ)薬師堂 石造宝塔 北塔

 蓮城寺(れんじょうじ)薬師堂(大分県豊後大野市三重町内山521)

   蓮城寺(内山観音)薬師堂の北側に二基並んで立つ北側(向かって右)の宝塔で、鎌倉時代後期 永仁二年(1296)の造立。

蓮城寺(れんじょうじ)石造宝塔(県指定文化財、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年、凝灰岩、高さ 150Cm)

塔身、四面に四仏の種子を刻む(正面、バイ:薬師如来)
二基並んで立つ、向かって右側(北側)の宝塔で、永仁四年の造立になる 塔身、四面に四仏の種子を刻む(南面、アー)

塔身に陰刻された四仏の種子の間に、扉型が四面陽刻されている。

勾配が緩く、軒幅が広い。軒反は、緩やかに反っている。軒下の垂木型はなく、頂部に薄い露盤をつくる。

塔身、四面に四仏の種子を刻む(背面、キリーク:阿弥陀如来)
北面は大きく破損、塔身内の空洞が見え、納入物があったものと思われる 一見、豊後の宝塔とは異質で、近江の作品に近似する。

塔身 首部

首部は二段にして、下段に高欄、上段に柱を刻んでいる。守山市(滋賀県)の懸所宝塔(重文)と同じ

塔身の刻銘 :「・・・歳次、丙申、口月日、僧覚智、大佛師」 相輪、九輪の下部を南塔、北塔は上部を使う。請花・宝珠は欠損

塔身刻銘の「覚智」は、立花家大友文書(建治元年八月廿四日)で、三重郷内山寺院主職に就いていることが判明している。

建治元年(1275)以降、「丙申」の干支が最初にくる年が永仁四年(1296)である為、永仁四年(1296)の造立と推定されている。

基 礎

基礎は薄く、上面に八葉の蓮弁が塔身を取り巻いて薄肉に彫られている

蓮城寺(れんじょうじ)石造宝塔 二基

向かって右側が、永仁四年(1296)の宝塔

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蓮城寺(れんじょうじ)薬師堂

本尊 薬師如来坐像 脇侍 日光・月光菩薩立像の両側に、像高65Cmの薬師如来立像が1,008体安置されている

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*JR豊肥本線 三重駅前から 大分バス 重岡駅行きに乗車、「内山観音バス停」下車、すぐ。石造宝塔は、薬師堂に向かって右側、約20m位の所に二基並んで立っている。

(撮影:平成23年3月13日)