蓮城寺(内山観音)は、寺伝によれば欽明天皇十五年(554)に中国の天台山より蓮城法師が渡来、真名野長者が創建したという。
蓮城寺(れんじょうじ)薬師堂前 石幢(大分県豊後大野市三重町内山521)
蓮城寺薬師堂の前、道路脇に立っている石幢で、室町時代中期 永正十六年(1519)の銘がある。
蓮城寺(れんじょうじ)薬師堂前 石幢(室町時代中期 永正十六年 1519年、凝灰岩)
龕部、八面の内六面は六地蔵が刻まれている。 | ||
石幢は、蓮城寺薬師堂前の道路脇に立っている。 | 龕部、八面で、六地蔵が刻まれている。 |
竿(さお)の中央に「観世音菩薩」、脇に「石燈籠」や「常夜燈」の文字が刻まれている。
刻銘(部分):「永正十六天(1519)己卯三月」 | 竿の刻銘(三行) |
竿の刻銘:「願主道寿妙竜夫婦現世安穏後生善処故也」「為逆修奉建立越三界菩薩」「永正十六(1519)己卯三月桃花日汲流立之畢」
蓮城寺(れんじょうじ)(内山観音)石幢
蓮城寺(内山観音)本堂南側、五重石塔の奥に立っている。円形を基調とした八面石幢。
蓮城寺(れんじょうじ)(内山観音)石幢(安山岩、高さ 246Cm) |
龕部は八面で、六面に地蔵を、二面に童児形を刻む。笠、中台、竿、基礎はすべて円形。
蓮城寺(れんじょうじ)(内山観音)町石(十一丁石)(大分県豊後大野市三重町秋葉)
蓮城寺(内山観音)の参道に一町毎に立てられたもの。江戸時代後期 文化二年(1805)の銘がある。
蓮城寺(内山観音)十一丁石(市指定文化財、江戸時代後期 文化二年 1805年)
胎蔵界大日如来の種子「ア」の下に「十一丁」と刻む。江戸時代後期 文化二年(1805)の銘がある。
蓮城寺 (れんじょうじ)
*JR豊肥本線 三重駅前から 大分バス 重岡駅行きに乗車、「内山観音バス停」下車、すぐ。町石は「鬼塚バス停」下車、南方向へ約100m。
(撮影:平成23年3月13日)