下赤嶺(しもあかみね)五輪塔

 下赤嶺(しもあかみね)五輪塔(大分県豊後大野市三重町赤嶺799)

   全長 約74mの前方後円墳、道ノ上(みちのうえ)古墳の後円部頂上に立つ五輪塔で、鎌倉時代後期 正安二年(1300)の銘がある。

下赤嶺(しもあかみね)五輪塔(県指定文化財、鎌倉時代後期 正安二年 1300年、凝灰岩、高さ 155Cm)

風・空輪、一石からなり両輪とも背が高い。
道ノ上 古墳の後円部頂上に立つ。明治の頃、現在地に移されたという 水輪、やや角ばった球形

「九州の石塔 下巻」(多田隈 豊秋著、西日本文化協会 刊)によると、風輪底 枘(ほぞ)の径が16.6Cmで、それを受ける火輪の枘穴径が13.5Cmで合わず、風・空輪は別物という。

火 輪

形は低平で、後方と頂部を破損する。屋根は、勾配、軒反、ともにゆるい。隅棟の反りも小さい。

各輪の四面に、雄渾な文字で五輪塔四門の梵字を薬研彫する。地輪正面、梵字「アー」の両側に刻銘があり、正安二年(1300)造立と知れる

地 輪 正 面

地輪は低く、正面の左右に「正安二(1300)庚子十一九」「禅尼念阿、正法、敬白の刻銘がある。

刻銘:「禅尼念阿、正法、敬白 刻銘:「正安二(1300)庚子十一九」

地輪、正面の刻銘

正法が鎌倉時代後期の正安二年(1300)十一月九日に、禅尼念阿のために造立した。念阿の名前から時宗関係者による造立と推定されている。

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道ノ上(みちのうえ)古墳 後円部

五輪塔は、後円部頂上に金刀比羅大神と彫られた石碑があり、その左手に立っている

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*JR豊肥本線「三重駅」下車、東方向へ 約2Km。

(撮影:平成23年3月12日)