浄運寺(じょううんじ)宝篋印塔

 浄運寺(じょううんじ)(大分県豊後大野市三重町内田95)

  別時衆の現世安穏と後生善処を願って文中四年(1375)に造立された。「玄正」と別系統の石工による作品。

浄運寺(じょううんじ)宝篋印塔(県指定文化財、南北朝時代 文中四年 1375年、凝灰岩、高さ 200Cm)

塔身、月輪内に四方仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀如来)
宝篋印塔は、本堂の裏、つつじ園の上方に安置されている 塔身、月輪内に四方仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就如来)

塔身は二重輪郭を巻き、内に月輪を陽刻し月輪内に四方仏の種子を刻む。朱や墨で着色されたあとが残っている。

段型は、下が薄く二段、上四段で四段目の露盤側面は竪連子。隅飾は外傾し、二弧輪郭付で更に内線を彫る。

塔身、月輪内に四方仏の種子を刻む(東面、バイ:薬師如来)
塔身、月輪内に四方仏の種子を刻む(南面、ユ:弥勒如来) 石工は、「玄正」と別系統の石工で、為宗(豊後大野市歴史民俗資料館)

西・北面が金剛界四仏の種子、東・南面が顕教四仏の種子が刻まれ、南面は通常北面に刻まれる「弥勒」となっている

基 礎

上端は一段、側面は四面とも二重輪郭を巻き内に格狭間をつくる。西面に刻銘がある。

刻銘:「文中二二(四)(1375)乙卯十一月 日」「大願主真阿 (以下人名)

結縁者 (以下人名)「右志者為別時衆」「現世安穏後生善処也」「仍所修如件」

南朝年号 文中4年(1375)11月の銘を刻む。文中年は文中4年5月26日迄で、27日から改元され天授元年になる

相輪は、宝珠が壊れている。伏鉢と上下の請花は蓮弁が覆輪。 刻銘:「文中二二(四)(1375)乙卯十一月 日」

塔身四方仏の配列や各部段型などを含め、細部に違和感の残る作品である。

浄運寺(じょううんじ)宝篋印塔(県指定文化財、南北朝時代)

浄運寺から約1Km南の蓮城寺(内山観音)には、「玄正」の作品といわれる同年同月作の石造宝塔がある

浄運寺 本堂

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浄運寺(じょううんじ)(浄土宗)

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*JR豊肥本線 三重駅前から 大分バス 重岡駅行きに乗車、「浄運寺前バス停」下車、すぐ。

(撮影:平成23年3月13日)