梅遊寺(ばいゆうじ)種子板碑

 梅遊寺(ばいゆうじ)(大分県豊後高田市一畑663)

   梅遊寺には、この建武三年(1336)銘の板碑を始めとして、国東塔や庚申塔などたくさんの石造遺品がある。

梅遊寺(ばいゆうじ)種子板碑(県指定文化財、南北朝時代初期 建武三年 1336年、安山岩、高さ 160Cm)

三基並んだ板碑の向かって左側の板碑。頭部山形、下に深い二段の切込、額部は突出し、身部上方に梵字「アン」、下方に紀年銘を刻む
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板碑 頭部

頭部山形は尖る。下の二条線は深く切り込み、額部(がくぶ)は突出する。

身部 上方

身部上方に力強く梵字「アン」を刻む。「アン」は通常、阿弥陀如来(胎蔵界)・普賢菩薩の種子として知られる。

「大分の石造美術」(望月 友善 著、木耳社)では、アンを「胎蔵界大日如来」と説明している。

身部 下方

身部下方に「右志・・・・」「建武三年(1336)・・・・・・・」の刻銘がある。

  梅遊寺(ばいゆうじ)宝塔(国東塔)(境内)

梅遊寺(ばいゆうじ)宝塔(国東塔)(室町時代、安山岩、高さ 151Cm)

基礎側面は二区に分け、夫々格狭間をつくる。基礎上に一石の反花座・請花を置く。塔身は、上端に首部を作り、側面無地で壺型。

笠は全体で反っている。上端に、二区で側面竪連子と×印の露盤を刻出する。相輪は、上下逆になり九輪上部から上を欠損する。

  梅遊寺(ばいゆうじ)宝塔(国東塔)(本堂裏、墓地)

梅遊寺(ばいゆうじ)宝塔(国東塔)(室町時代、安山岩)

切石二段の基壇上に上端反花座、側面は二区格狭間の基礎を置く。塔身は、下部に請花が刻まれ、側面に金剛界四仏の種子を刻む。

塔身上端に低い首部を作り、笠は両端で反る。上端に、二区格狭間の露盤を刻出する。相輪は、上部を欠損する。・・・・・・・・・・・・・・・・・

石造遺品が並ぶ境内

県文の板碑二基、庚申塔二基など石造遺品が並んで立っている

  元禄十四年(1701)銘 庚申塔 二基

二基とも江戸時代中期 元禄十四年(1701)の作品で、同じ図案。青面金剛の両脇に二童子、下に三猿・二鶏を配す。左側は、高さが91Cm。

梅遊寺(ばいゆうじ)横の県道から見た山並

 智恩寺(ちおんじ)宝塔(国東塔)                          石仏と石塔-目次!

梅遊寺(ばいゆうじ)仁王像 吽形 梅遊寺(ばいゆうじ)仁王像 阿形

門前横に立っている小型の仁王像で、体躯の割に頭部が大きく、足が短い。ユーモラスな感さえある。

 板碑(いたび)

*並石ダムから東方向へ約1Km、傾斜のきつい坂道の南側集落、細い道を入った所にある。1/50,000の地図を見ながら探したが見つからず、地元の人に聞いてやっとたどり着いた。

(撮影:平成23年3月17日)